2022.4.28
推しの卒業式で涙を堪えた柴田勝家──秋葉原の中心で〈永遠〉を考える
卒業までの残された時間
推しの卒業が決まったのだ。
戦国メイド喫茶でワシが推している前田きゃりんちゃん、いつまでもいてくれると思っていた彼女だったが、そんなはずもなく、出会ってから一年も経たずに別れが訪れることになる。これも秋葉原では常のこと、と思いながらも寂しいものは寂しい。
大学に行っても(当時は院生だった)つい戦国メイド喫茶のことを考えてしまい、どうにも学業にも身が入らない。講義が終われば文芸部の部室に行き、メイド喫茶仲間の後輩であるとんとんと二人、前田きゃりんちゃんの写真を眺めながら卒業のことを想像する。
「勝家さん、とりあえず今日も戦国メイド喫茶行きますか」
「行く!」
とんとんの申し出に二つ返事で答えた。
そして秋葉原に行けば、いつものようにカウンターで勉強をしている男子高校生のなおやてんがいた。
以前にも登場した彼は、ワシと同じく前田きゃりんちゃんを推す仲間だ。卒業発表後に会うのは初めてだったが、やはり思うところがあるようだった。
「卒業イベント、ちゃんとできればいいなって」
なおやてんも寂しく思っているようだが、それ以上にイベントの成功を願っているようだった。少し前に、彼と一緒に参加した別のメイドさんの卒業式はなんとも盛大で、推しの人たちも楽しそうな時間を過ごしていた。その時はワシらも無邪気に楽しんでいたが、いざ自分たちの立場になると、推しの人たちがどれだけ努力していたかが理解できた。
「俺らはホラ、まだ歴が浅いじゃないスか。他の人、何すんのかなぁって」
メイドさんの推しは軍としてまとまっており、イベントの時などには内々で協議し、店側と協力して動くことがあるという。とはいえ、ワシもなおやてんもきゃりんちゃんの周年イベントも生誕イベントも経験しておらず、どう動くかも知らないまま、最初に参加する彼女のイベントが卒業式となってしまった。
「他のメイドさんの時、スタンドフラワーとか出てたよな」
「あとケーキとか、寄せ書きや花束とかありましたね」
ワシもとんとんとイベントのことを思い出しておく。推しのイベントが発表されてから、メイドさんを推している人たちも裏で忙しなく動いているのだ。
「まぁ、何よりアレじゃないスか?」
「アレだよなぁ」
どこかの席で景気の良い音が響いた。きゃりんちゃんの卒業式には参加できないという人が、その代わりとして高価なシャンパンを入れていた。ドンペリの白である。
「イベントだと、一番高いの出るんスかね?」
「お金が全てじゃないが、やはり出したいよな」
無理である。ワシの作家としての収入は微々たるものだった。
「あ、きゃりんちゃん、歌うみたいっスね」
ワシらがコソコソと話している中、きゃりんちゃんがステージに立った。少し前にワシらが彼女に歌の注文を入れていたのだ。ワシらはちょうどステージに一番近いボックス席におり、これほど近くで歌う姿を見たことはなかった。
「えー、前田きゃりんでーす。歌いまーす!」
店内のBGMが止まり、壁掛けテレビにカラオケ映像が流れ始める。選曲はマクロスFのシェリル・ノームの曲『ダイアモンドクレバス』だ。別れをテーマにした寂しげな歌だが、情感を込められる歌唱力あってこそ輝く難しい曲だ。
「──神様に恋をしてた頃は、こんな別れが来るとは思ってなかったよ」
それな、と歌詞に共感しておく。
ワシはきゃりんちゃんのために用意したペンライトを振りながらも、不意に悲しい気持ちを抑えきれなくなってしまった。思わず泣きそうになるのを堪え、万感を込めて歌い上げる推しの姿を目に焼き付ける。
ふと、その時にきゃりんちゃんと目が合った。そんな気がしたのだ。
「きゃりんちゃん、目線くれましたね」
「だろ~~?」
歌が終わった後、とんとんとオタク特有の自意識過剰な感想を共有しておく。こんな感想すら、彼女が卒業した後には言えなくなるのだ。今のうちに楽しんでおこう、と思った。