2025.3.17
ずっとカーネーションがきらいだった【第1回 社会が要求する女というもの】
日々を過ごすなか、また、過ぎた時間のなかで、戸惑い途方にくれること、悔恨、屈託、そして解放されたこと…暮らしの断片と陰影を、歌に込め文で紡ぐ短歌エッセイです。
バナーイラスト/鈴木千佳子 本文写真/著者提供
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桃のはな卓に飾りぬ このごろは女であることとほくなりたり
食卓に切り花を飾るようになった。末の子の手が離れるようになった頃からだ。いつものお花屋さんに行って、目についた花を一本、二本買って帰る。家族は誰も花に興味は示さないけれど、ふとした時に目にとまるとやっぱりうれしくなるから、自分のために続けている。
花を買うようになって、これまで避けてきた花があることに気がついた。それは行事ごと、それも女に関わる行事ごとにまつわる花だ。例えばカーネーション。わたしはずっとカーネーションがきらいだった。母はわたしが幼い頃から仕事をしていて、時には残業で徹夜になったりしてなかなか家に帰ってこなかった。ある年の母の日、徹夜で仕事をしていた母のために、朝ごはんを作ってカーネーションを添えて仕事場に持っていった。わたしは母がすごく頑張っていることをよく知っていたけれど、他の子のお母さんのようにうちにいてただやさしいお母さんを羨ましいと思った。そしてそう思ったことを恥じた。母は後年この時のことを何度も口にした。とてもうれしかったということ、でも同時に子どもを置いて仕事をしていることへの申し訳なさがあったと話していた。母の日近くになると、お花屋さんの店先がカーネーションばかりになってしまうことにずっと圧迫感を感じてきた。「お母さんいつもありがとう」というメッセージ付きのカーネーションからは、「お母さんは家族みんなのケアをしなくてはいけない」という無言のメッセージを感じ取ってしまう。最近は母の日に贈る花もさまざまになり、母の日だからカーネーションというより、贈る相手の好みの花を選ぶようになってきているのはいいことだなと思う。
その他に苦手だったのが、桃の花。これはどうしてもひな祭りを想像してしまう。わたしの実家には七段飾りのお雛さまがあった。わたしが生まれた時に買ってくれたもので、母が毎年出したりしまったりしてくれた。リカちゃん人形とは全く違う精巧な作りの人形やお道具を見るのは楽しく、一つひとつ白いうす紙に包まれている様子も特別感があって好きだった。壊れるから触ってはいけない、と言われていたけれど、誰も見ていない時にこっそり触ってみてわくわくしたのを覚えている。「お雛さまはなるべく早くしまわないとお嫁に行けないのよ」と言いながら、母は仕事で忙しくてお雛さまをしまうのがしばしば遅くなった。「あーあ、お嫁に行けなくなっちゃうね」と言われて、それがその言葉通りよくないことなのかどうなのかよくわからなくて、わたしはだまってぼんやり聞いていた。
なかなかお雛さまをしまえなかったわりに、わたしは21歳で結婚した。当時大学生だったわたしが、大学の事務室の窓口を名前の変更などの手続きに訪れた時、窓口の女性が「永久就職したわけですね」とにっこりして言った。1999年のことだ。わたしが通っていた慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスは先進的な構想とカリキュラムの場として知られていたのに、前時代的なこんなことがここでも口にされるのかと衝撃を受けたのを覚えている。男も女もなく試験を受けて、同じ授業を受けて、同じように過ごしてきたはずなのに、わたしはいつからか女というものになって「永久就職」と言われ、同じ学部の一つ上の学生だった夫は男とされて「就職活動頑張らなくてはいけないね」と言われるのだった。わたしは自分が女になったというより、いつの間にか社会から女というものにされてしまったという感覚を抱いている。
女の子の成長を祝うひな祭りに連なっている行事としては、初潮を迎えるとお赤飯を炊くあのことを連想してしまう。女の子が大きくなって女になること、妊娠出産につながる初潮を祝うこと、これがどういうことを意味しているのか、誰もちゃんと教えてくれなかったように思う。もっと言えば、女として現代の日本で生きていくことがどんなことなのか、どんな困難があって、どんな不自由があるのか、そんなことは誰も口にしなかったし、それを語る言葉もなかった。そういうことはないことになっていて、かわいらしい女の子、母親としての女であることを寿がれていたように感じる。
中学、高校生の頃はしょっちゅう痴漢に遭った。ひな祭りの桃の花や初潮のお祝いのお赤飯に連なることに、こういうことがあるとは誰も言わなかった。教えてくれなかった。わたしは知らない男の人に触られると、毎回自分がバラバラになる気持ちがした。わたしを包んでいる若い女という体や、着ている制服という象徴がわたしをおいてけぼりにして、見知らぬ誰かに消費されていくような感じがした。控えめに言っても毎回ひどい気分になった。でもこれはものすごくひどいことでも特別なことでもないらしい。痴漢に遭ったことがないという子は周りにいなかったし、痴漢に遭遇するということは日常茶飯事だったから、誰も話題にすらしなかった。それは気にするほどのことでも、目くじら立てることでもないという雰囲気があった。

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