2024.2.19
身近な必需品を防災ポーチに!【逃げる技術!第9回 防災編② 】大きめリュックで備える
記事が続きます
自主避難所とは何か?と知る
夜7時頃に市の災害対策本部に電話をかけて問い合わせると、4カ所の避難所を開けたといわれました。しかし、それぞれ海の近くだったり、遠かったりして、そこに移動するのは現実的ではありませんでした。公民館にいる旨を伝えると「市の避難所以外には毛布や食料の配給はできない」ということでした。
翌日以降のニュースで、「被災地で自主的に避難を続ける人がいる。自治体の指定の避難所でないと物資が届かず困っている」という話が何度も流れました。事情を知らなければわたしも「どうして指定避難所に移動しないの?」と思っていたでしょう。
津波警報の出ているときに、避難先を選ぶ余裕はありません。そして一度避難すると、そこから別のエリアへ移動するというのは簡単ではないのです。もし道路が寸断されていたら移動できません。お年寄りや子どもであれば、度重なる環境変化がさらにストレスになります。
障害のある方が、避難所では周囲の人に迷惑をかけてしまうと悩み、損傷した自宅に戻るという話も聞きました。ペットを家に置いていけず、車中泊を続ける人もいたようです。
初日の避難は命からがらになるので仕方ありません。むしろ、メッシュ状に細かく公民館があるありがたみを痛感しました。ただ、地震発生の翌日以降は、より速やかに、ある程度のプライバシーが保たれて衛生的な避難所が運営されるように、と願います。特に衛生面は非常に大切だと今回痛感しました。
災害時こそ重要さを増す、うがい・手洗い・歯磨き
災害時はストレスや疲れから、風邪をひきやすくなっています。さらに地震発生から数日間は、断水していました。
水がないと、うがい・手洗い・歯磨き・トイレ・洗濯・シャワー・入浴・調理・皿洗い・拭き掃除・ペットの世話・植木の水やりなど、できなくなることが非常に多いのです。衛生管理がとても難しくなりました。
子どもには、うがい・歯磨きはペットボトルの水を使ってでもしっかりさせるよう気をつけていましたが、やはりついつい水を節約してしまうからか、家族みんなで喉が痛くなりました。水をたっぷりは使えないので、洗口液やうがい薬も使いました。
母も施設にいる祖母に、何度も「水がもったいないと思わんと、うがいはちゃんとしられ(しなさいよ)。入れ歯も洗うんやよ」と伝えていました。道路がダメになって施設まで会いにいけなくなり、LINEでメッセージを送ったり通話をしたりして励ましていました。
水がないときこそ、口腔ケアは念入りに。感染症や虫歯を予防します。
トイレも我慢しがちになるので、膀胱炎にかかりやすくなります。試してみてわかりましたが、我が家の洋式トイレの水を流すには、2リットルのペットボトルで6本分をタンクに注ぐ必要がありました。重労働ですし、いくら水があっても足りません。結局、昼間は断水のない地域まで車や徒歩で出かけてはトイレを済ませていました。
なお、流すのに必要な水の量はトイレのタイプによって異なります。また、万が一、下水管に破損があった場合は、水を流すことで逆流のおそれもあります。我が家では父が何度も確認してから行いました。
父は、融雪用のポンプで農業用水から水を汲み上げ、しばらく置いてゴミを沈殿させ、それをトイレに運ぶ、というルーティンを1日で生み出しました。これで給水車の上水をトイレに使わずに済みます。田舎のたくましいDIY精神を感じました。
また、飲めるほどきれいな水をトイレに流すなんて、わたしはなんと贅沢なことをしていたのか、と断水によって気づきました。
トイレを流すには大量の水が必要です。
また下水管が破損している場合には、流すと逆流のおそれがあります。
記事が続きます
断水になると何が困る? 何が売り切れる?
幸い、多くのスーパーやドラッグストアは地震翌日から営業していましたが、ミネラルウォーターはすぐ品切れになりました。皿洗いができなくなるため、紙コップ、紙皿、割り箸、ラップなどもよく売れていました。ラップが必要になるのは、お皿にラップを巻いて、使用後はラップのみ取り替える、という使い方ができるからです。
スーパーマーケットも水が出ないまま営業している店舗もあり、お惣菜を買おうにも、そもそも製造されておらず、お弁当もおにぎりもないところがありました。自宅で炊飯や野菜洗いができないので、パックごはん、カット野菜、それからご飯のかわりにパンが売れるようで、それぞれ売り場は空っぽでした。パンにつけるジャムやマーガリン、蜂蜜なども品薄になっていました。
人口の少ない地域なのでこの程度で済んだのかもしれません。大都市であれば物資は払底するでしょう。家庭での備蓄はやはり必要だと思い知らされました。生野菜が摂れなくなったので、子ども用サプリを子どもには摂らせました。防災用品にはビタミンのサプリも入れておくとよいと思います。
また洗濯もできないため、コインランドリーも一日中混みあっていました。また、スマホ決済のできないコンランドリーでは大量の小銭が必要になります。やはり現金は持っておかないと困る、とわかりました。
風が吹けば桶屋が儲かるではありませんが、水が出ないとはこんなにも多方面に影響が出るのだ、と身にしみました。スーパー銭湯もすごい混雑ぶりで、駐車場はつねに満車、風呂屋の手前の幹線道路に渋滞の列ができていました。洗い場でもシャワーが足りないため、裸のまま並んで待つ、という状態でした。
それでも浴槽につかった人達はみんな「ほーっ」といいながらニコニコしており、わたし達にとって入浴というのは単に衛生のための行為ではなく、ひとつの文化なのだな、と感じました。
断水で必要になったもの:ミネラルウォーター、給水車から水を受けるためのポリタンク、パックごはん、ラップ、紙皿、紙コップ、割り箸、使い捨てスプーン、ビタミンサプリ、小銭など。
人とのコミュニケーションの重要性が身にしみた
ここまで地震で困ったことを書きましたが、悪いことばかりではありませんでした。避難した夜は、公民館の隣りのお宅の方が「電気ついとるのが見えたから」といって「家にあるもんやけど、よかったら食べて」とカップラーメン、割り箸、ジュースなどを差し入れてくださいました。とてもありがたかったです。他に避難している方とも、自宅から持ってきたお菓子やコーヒーを交換して、会話しました。
祖母も施設に入所して以来、なじみのある人が周りにおらず、なんとなく元気をなくしていたのですが、建物に避難してきた人達に部屋の備品を貸してあげたりしたらしく、人とのふれあいがあったようで、電話で聞くと久しぶりに声に張りが戻っていました。
災害に立ち向かうには、モノも大切ですが、コミュニケーション、そして知識や情報がとても大切だと思いました。何に困っているのか、どんな助けを得られるのか、人に伝える、聞く、頼む、感謝を伝える、自分が知っている情報を正確に提供する、そういった意味でコミュニケーションはとても重要です。
また、子ども達のうち一人は、ストレスでかなりダメージを受けました。そのケアをするのに、昨年、保育士の資格を取るために勉強した内容がとても役立っています。知識や情報が状況を打開することがあるのです。
子どもは東京に戻ったいまも、夜中でも逃げられるようにと靴下を履き、室内履きとヘルメットを枕元に用意して寝ています。これは安心して眠れるようにと、親子で一緒に考えた入眠儀式です。不安に向き合って対策を考えることで、食欲も戻り、寝つきもよくなりました。
この連載を始めさせていただくときに、情報をシェアすることでDVに苦しむ人が一人でも減ってほしい、「知る」ことによって、誰でももっとよりよく生きられるはずだ、と考えました。改めて、そのことを信じてやっていきたいと思いました。
***
次回から、またDVについて書いていきます。次は「DV避難について、事前に子どもに伝えるべきなのかどうか?」についてです。
先週、実家から、「知っているパン屋さんが再開したので和倉まで買いにいってきた。七尾の一本杉通りも大変な状況だった」と写真が送られてきました。中能登の和倉でそのような状況なら、奥能登はどうだろうか、と思いやられます。一日も早い被災地の復旧をお祈りします。
当連載は毎月第1、第3月曜更新です。次回は3月4日(月)公開予定です。
記事が続きます