2022.1.8
【中村憲剛×福田紀彦川崎市長対談 前編】川崎フロンターレの活躍で“シビックプライド”を持つことができた
フロンターレの“顔”であるとともに、川崎市の“顔”でもある
福田
川崎はプロスポーツが根づかない街だとずっと言われてきたんですよ。プロ野球でもJリーグでも。私が市長になる前になりますけど、それがフロンターレのほうから行政に「一緒にやっていきましょう」と働きかけてくれまして。だから行政側としてもかなり新鮮だったんじゃないですかね。最初はちょっとした無理難題もあったみたいなんですけど、フロンターレに鍛えられたことで我々、行政側も少しずつ変わっていけたのかなとは感じています。
中村
市役所はいろいろと段階を踏まなきゃいけないわけですからね。多分そこをスッ飛ばしてお願いしようとするのがフロンターレなので、いっぱいご迷惑をかけてしまったのかな、と。
福田
いえいえ、逆にありがたいですよ。役所でありながらもどこか役所でない感覚を育ててもらったわけですから。全国的に見ても、ここまでスポーツクラブと密接な関係を築けている自治体は、なかなかないんじゃないかと自負しています。
中村
僕らの熱量ってどこにあるかと言うと、川崎市を盛り上げたい、市民のみなさんに少しでも元気を与えたいっていうところで。僕が入団した2003年頃はまだまだフロンターレは認知されていませんでしたが、クラブ全体の熱量が(行政のほうに)段々と浸透していったのではないかと勝手に解釈しているんです。市役所のみなさんと一緒にやるイベントにおいても、みんなで盛り上げてこうという感じで、ちょっとずつドアをノックすることでオープンにしてもらった感覚なんですよね。そこは市役所のみなさんに乗っていただけなかったら、難しいことでしたし、本当に感謝しています。今ではフロンターレ専用の窓口までありますからね。
福田
いやいや繰り返しますけど、今こんなふうな関係になれたのはフロンターレのおかげです。
中村
ひとつ福田市長にお聞きしたかったんですけど、これまでなかなかスポーツチーム、スポーツクラブが川崎に根づかなかったのは何が理由だとお考えですか?
福田
以前は(川崎の隣の)東京の引力がものすごく強かったんだとは感じます。そこから、Jリーグの理念がまさにそうだと思うんですけど、ホームタウンを大切にしようっていう文化が醸成されてきてこれまでとは違う展開になってきたんじゃないか、と。ちょうどフロンターレが川崎に根づいてきて、街の雰囲気もだいぶ変わっていきました。
中村
僕は東京から川崎に移り住んできたわけですけど、昔は工業地帯みたいなイメージをちょっと持っていたんですよ。小学生の時の社会の教科書に載っていた川崎を表現する言葉として「工業地帯」というのがとても記憶に残っています。
福田
わかります。
中村
でも実際住んでみると緑というか自然が多いし、公園も多いので住みやすいなって感じました。もちろん今も(笑)。
福田
川崎市の地図を見ていただけるとよくわかるんですけど、非常に細長いんですね。それに加えて、多くの電車が東京に向かって放射線状になっているので生活圏が(東京への)「縦軸」になっている方が多いんです。一方、川崎市全体をつなぐ「横軸」が市の背骨みたいになっているかと言われるとそうではないので、一体感が非常に持ちづらい地域。その意味ではフロンターレが川崎市民をひとつにしてくれたと思っています。自分たちは川崎の人間なんだという“シビックプライド”を持たせていただいた。