よみタイ

一通のメールが、どん底だった私を翻訳の世界に引き戻してくれた 第10便 山あり谷ありの人生

クォン・ナミさんから村井理子さんへ

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 理子さんへ

 お返事、どうもありがとうございます。
 そうですね、つい先日まで「春なのに、どうしてこんなに寒いの?」と思っていたのに、もう夏のような暑さですね。季節の移ろいの早さに驚かされます。真っ青にきらきらと輝く初夏の琵琶湖の水を想像するだけで、心がすっと澄んでいくような気がします。

 さて、「翻訳家ふたりの往復書簡」も最終回を迎えましたね。
 異なる国の翻訳者同士が公開でメールをやりとりするというこの企画は、大げさかもしれませんが、世界的にもほとんど例がないのではないでしょうか。私たち、けっこうすごいことをやったんじゃないかな、と思っています。

 理子さんがこれまでの歩みを振り返ってくださったことで、まるで昨日のことのように、当時の気持ちが鮮やかによみがえってきました。ちょうど一年前の今頃、この企画のお話をいただいたときのことが、はっきりと思い出されます。
 それで、当時いただいた理子さんのメールを改めて探してみました。

「『往復書簡』はいかがですか?(略)韓国文学が大ブームの今、ナミさんのファンは大喜びされるのではと思います。ぜひご検討ください。そして、お互いに書き合って、まさに〝褒め殺し状態″になるかもしれませんが」

 このメールを受け取ったときに心臓が死ぬほどドキドキしたことは、第1便にも書きましたね。あの日の衝撃的な喜びは、今でも忘れられません。その後、公開でも個人的にも理子さんとメールをやりとりしましたが、理子さんにお便りを書くことはいつも楽しかったです。

 また、『よみタイ』での往復書簡を通して、読者のみなさんにも私の話が届いたことは 本当にうれしい経験でした。なぜか日本語で書くと、韓国ではなかなか語れなかった正直な話が自然と次々に出てきます。ウェブメディアなので韓国の読者にも読まれているはずなのに、私はまるで、雪の中に頭を突っ込んで「誰にも見られていない」と思い込んでいるキジのようなものだったんですね。そんなふうに書いていたから、気がついたら韓国では話したことのないようなことまで、素直に書いてしまっていた気がします。そのため、『よみタイ』に書いた話の多くは、実は韓国ではほとんど公表していないものばかりになりました。
 それに、理子さんがさまざまなメディアで私や本のことを紹介してくださったおかげで、私自身、本当に多くの恩恵を受けてきました。
 心から感謝しています。ただ、これ以上書いて褒め合いまくると、読者のみなさんに「この二人、何してるの?」と思われてしまいそうなので、この続きはまた別の機会に……(笑)

 さて、そうです。私は今、神楽坂にいます。
 今年の初め、こんな考えが頭をよぎりました――「日本文学を訳しているのに、こんなにも日本語の会話が下手くそなんて」。旅行以外では日本語で会話する機会があまりなかったため、日常生活で不便を感じることはありませんでした。ですが、昨年『翻訳に生きて死んで』が出版され、神保町でのトークイベントに参加したとき、その現実を痛感しました。限られた語彙の中でしか答えられないことに、もどかしさを覚えたのです。

 それで、「今からでも遅くない、勉強しよう!」と思い立ち、すぐにネットで調べて、日本語学校の2ヶ月コースに申し込み, 滞在先も契約しました。我ながら、ずいぶん衝動的なナマケモノだと思います。そんなわけで、日本で老学生の生活を楽しんでいるところです。楽しくてたまらない授業が終わると近くのスタバやカフェで翻訳やエッセイの仕事をやっています。贅沢三昧だと思います。

 理子さんもおっしゃっていましたね。
「ナミさんの人生も想像以上にダイナミックでした。でもナミさんは、そんな大波をザブザブとたくましく泳ぎ、娘さんを育て、そして数多くの日本文学を韓国の読者に届けてきて下さったんですね」
 理子さんも私も、メディアを通して自分の話をたくさんしてきたように見えて、実は語ることのできない、誰にも言えない苦労や痛みを抱えていますよね。誰にも明かさなかった苦労に、自分でそっとご褒美を手渡すようなこの瞬間が、言葉にならないほどいとおしくて、胸がいっぱいになります。きっと、理子さんにも、そんな時間が訪れることでしょう。

 それでは今度こそ、ビールを飲みながらお話ししましょう。毎回ビールの話をしているので、大酒飲みと思われるかもしれませんが、いや、私、たしなむ程度です。
 拙い日本語のメールを読んでくださった「よみタイ」の読者のみなさまにも、心から感謝申し上げます。これからも日本で紹介される私の文章を温かい目で見守っていただけると幸いです。どうもありがとうございました。

 ナミ

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*本連載は今回が最終回です。ご愛読いただき、ありがとうございました。

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クォン・ナミ(權南姬)

クォン・ナミ(權南姬)
1966年、大邱生まれ。韓国を代表する日本文芸の翻訳家でエッセイスト。主な訳書に、村上春樹『パン屋再襲撃』『村上ラヂオ』、小川糸『食堂かたつむり』『ツバキ文具店』、恩田陸『夜のピクニック』、群ようこ『かもめ食堂』、天童荒太『悼む人』、益田ミリ『僕の姉ちゃん』シリーズ、角田光代『紙の月』、三浦しをん『舟を編む』、東野圭吾『宿命』、ヨシタケシンスケ『メメンとモリ』、 鈴木のりたけ『大ピンチずかん1,、2』など翻訳歴約32年の間に300冊以上を担当。著書に、エッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』(日本語版平凡社刊)、『面倒だけど、幸せになってみようか』『ある日、心の中にナムを植えた My Dog's Diary』『スターバックス日記』 などがある。
日本語版のエッセイが今年11月に発売予定。

권남희
1966년, 대구 출생. 일본문학번역가, 에세이스트. 지은 책으로 『번역에 살고 죽고』 『귀찮지만 행복해볼까』『혼자여서 좋은 직업』『어느 날 마음속에 나무를 심었다』『스타벅스 일기』가 있으며, 옮긴 책으로 『빵가게재습격』『무라카미 라디오』『밤의 피크닉』『달팽이식당』『츠바키 문구점』『카모메식당』 『애도하는 사람』 『종이달』 『배를 엮다』 『누구』『라이온의 간식』 『숙명』 『무라카미 T』 『메멘토모리』 『위기탈출도감1,2』 외에 많은 작품이 있다. 올해 11월에 일본어판 에세이 발매 예정.






村井理子

1970年、静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』『村井さんちの生活』 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『ブッシュ妄言録』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『ふたご母戦記』『義父母の介護』『エヴリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』『ある翻訳家の取り憑かれた日常2』など。主な訳書に『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『エデュケーション』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』『射精責任』『PARIS The Memoir』『ハリウッドのプロデューサー、英国の城をセルフリノベする』など。

무라이 리코
1970년, 시즈오카현 출생. 번역가, 에세이스트. 주요 저서로 『오빠가 죽었다』 『낯선 여자가 매일 집에 온다』 『필요 없지만 고마워: 항상 무언가에 쫓기고, 누군가를 위해 지쳐있는 우리를 구원하는 기술』 『하리, 커다란 행복』 『가족』 『빨리 혼자가 되고 싶어!』 『무라이 씨 집의 생활』 『무라이 씨 집의 꽉꽉 채운 오븐구이』 『부시 망언록』 『갱년기 장애인 줄 알았는데 중병이었던 이야기』 『책 읽고 나서 산책 가자』 『쌍둥이 엄마 분투기』 『어느 번역가의 홀린 듯한 일상』 『시부모 간병』 등이 있다. 주요 번역서로 『요리가 자연스러워지는 쿠킹 클래스』, 『에듀케이션』, 『포식자 : 미국 전역을 충격에 빠뜨린 매복형 연쇄 살인마』,『사라진 모험가』, 『책임감 있게 사정하라』, 『PARIS The Memoir』, 『헐리웃 프로듀서, 영국의 성을 셀프 리노베이션하다』등.


X:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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