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一通のメールが、どん底だった私を翻訳の世界に引き戻してくれた 第10便 山あり谷ありの人生

ともに翻訳家でエッセイストの村井理子さんとクォン・ナミさん。
300冊以上の日本文学作品を韓国語に翻訳されたクォンさんのエッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』を村井さんが読んだことがきっかけで、メールのやり取りが始まりました。
翻訳家であること、介護を経験をしていること、愛犬を亡くしたこと、そして50代女性という共通点が次から次へと出てきて…語り合いたいことが尽きないふたりの、ソウルと大津の間を飛び交う往復書簡エッセイです。

第1便と、第2便は韓国語でも読めます!


バナーイラスト 花松あゆみ

第10便 山あり谷ありの人生

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 ナミさんへ

 ナミさん、お元気ですか? 前回のお手紙では、あまりの寒さに「早く暖かくならないかな」などと書いておりましたが、こちらは春を飛び越えて、夏のような気温になってしまいました。ここ数日は、とても暑いです。山に近いため朝晩は冷え込みますが、日中はとにかく湿度が高いですね。琵琶湖の水は真っ青できらきらして美しいです。仕事場に差し込む日差しを遮ってくれるのは庭木だけですが、その庭木が見事に葉をつけて、それを見るとようやく、少しだけ気持ちが和らぐような気がします。しかし、ナミさんもきっとご存じのように、日本の夏は暑くて長いです。体調を崩さないようにと、今から警戒しております。

 さて、この往復書簡も十便目。そして最後のお便りとなります。最後ということで、まずはナミさんにお礼を書かせてください。お忙しい日々のなかで、私からのとりとめもないメッセージに、いつも真摯なお返事を書いて下さって本当にありがとうございました。読むたびに元気を頂いたような気がしています。忙しい翻訳作業を多く抱えているなか、お返事を頂けたことに感謝しています。

 ナミさんから初めてメールを頂いたとき、私は愛犬を失って、どん底の状態でした。仕事も投げ出して、毎日何をするでもなくぼんやりとしていました。メールのチェックも怠りがちになり、長年一緒に仕事をしてきた編集者たちからは、「大丈夫ですか?」とのメッセージがぽつりぽつりと届くようになっていました。実際のところ、私はあまり大丈夫ではなく、毎日、死んでしまった愛犬の写真を見ながら、「なんでこんなことが起きるのか」と悲しみ半分、怒り半分のような状態にありました。そしてやることといえば、YouTubeで動画を見たり、TikTokで知らない誰かの愛犬を眺めたりと、いわゆる「グダグダ」な状態だったのです……それも数ヶ月も。

 ある日、多くの仕事のメールに交じって、見覚えのないアドレスから一通のメールが届きました。連日、インターネット上のショップから届くセールスメールとは、一見して違う雰囲気がありました。どなただろう……? と不思議に思いつつ開いて、そして文面を読んで、「うわあ、クォン・ナミさんだ!」と声が出ました。それほど驚きました。もちろん、ナミさんのエッセイはすでに読んでいたし、書評も書かせて頂いたことはしっかりと記憶にありました。でもまさか、あのナミさんから直接メッセージを頂くなんて! と大喜びしました。

 すぐに返事を書いて、そこからナミさんとの交流がはじまりました。ナミさんとやりとりをするようになり、私はいつの間にか、翻訳という存在を思い出すようになっていました。そして連日、机に向かうようになっていました。「翻訳、もう辞めちゃおうと思ってたけど、やっぱりやろう! だってナミさんだってがんばってるし、励まして下さったし」と、あまりにも単純に機嫌をなおし(私の特技は、すぐに忘れることかもしれない!)、再び仕事に向かうようになったのでした。翻訳から離れようとしていた私の腕を引っぱって、翻訳の世界に引き戻してくれたのはナミさんです。

 ナミさんは私に「私たち、前世はきっと双子ね」と言って下さいましたが、まさに、双子のもう一人が、ピンチの私を助けに来てくれたと思いました。私には双子の息子たちがいますが、なんだかとてもうれしいナミさんの言葉でした。

 そこから、エッセイ本だけでは知ることができなかったナミさんの人生やナミさんのご家族のことを知るようになりました。仙台での日々(私は特に、ナミさんの仙台での日々の記述が好きです)、娘さんのこと、家族のこと、そしてお母様とのこと。私の人生も山あり谷ありで今まで来ましたが、ナミさんの人生も想像以上にダイナミックでした。でもナミさんは、そんな大波をザブザブとたくましく泳ぎ、娘さんを育て、そして数多くの日本文学を韓国の読者に届けてきて下さったんですね。なんだか普通のファンレターになってきましたが、今まで翻訳を続けて下さって本当にありがとうございます。そしてこれからも末永く、日本文学をよろしくお願いいたします。

 先日、とびきりうれしいメールがナミさんから届きました。日本語学校に通うための、東京滞在をスタートされたとのこと。「ついにこの時が!」とうれしい気持ちでいっぱいです。人気者のナミさんのことですから、連日、スケジュールがいっぱいだろうと思いますが、是非一度、お会いできたらうれしいです。

 私が初めてソウルに行ったのは、十九歳のときでした。実は渡韓一週間前に京都で車にねられて、足に怪我を負っての旅でした。現地でおいしいものを食べ、ソウル大学の学生のみなさんと交流するうちに高熱が出ました。足の怪我が悪化したのです。そのとき、私を助けてくださったのはソウル大学の学生のみなさんと教授でした。そんな話も是非したい! 直接お会いしてお話ししたいことがたくさんあります。今からとても楽しみです。

 とりとめのないお手紙になってしまいましたが、ナミさん、近日中にお会いできること、心から楽しみにしております。

 村井理子

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新刊紹介

クォン・ナミ(權南姬)

クォン・ナミ(權南姬)
1966年、大邱生まれ。韓国を代表する日本文芸の翻訳家でエッセイスト。主な訳書に、村上春樹『パン屋再襲撃』『村上ラヂオ』、小川糸『食堂かたつむり』『ツバキ文具店』、恩田陸『夜のピクニック』、群ようこ『かもめ食堂』、天童荒太『悼む人』、益田ミリ『僕の姉ちゃん』シリーズ、角田光代『紙の月』、三浦しをん『舟を編む』、東野圭吾『宿命』、ヨシタケシンスケ『メメンとモリ』、 鈴木のりたけ『大ピンチずかん1,、2』など翻訳歴約32年の間に300冊以上を担当。著書に、エッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』(日本語版平凡社刊)、『面倒だけど、幸せになってみようか』『ある日、心の中にナムを植えた My Dog's Diary』『スターバックス日記』 などがある。
日本語版のエッセイが今年11月に発売予定。

권남희
1966년, 대구 출생. 일본문학번역가, 에세이스트. 지은 책으로 『번역에 살고 죽고』 『귀찮지만 행복해볼까』『혼자여서 좋은 직업』『어느 날 마음속에 나무를 심었다』『스타벅스 일기』가 있으며, 옮긴 책으로 『빵가게재습격』『무라카미 라디오』『밤의 피크닉』『달팽이식당』『츠바키 문구점』『카모메식당』 『애도하는 사람』 『종이달』 『배를 엮다』 『누구』『라이온의 간식』 『숙명』 『무라카미 T』 『메멘토모리』 『위기탈출도감1,2』 외에 많은 작품이 있다. 올해 11월에 일본어판 에세이 발매 예정.






村井理子

1970年、静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』『村井さんちの生活』 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『ブッシュ妄言録』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『ふたご母戦記』『義父母の介護』『エヴリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』『ある翻訳家の取り憑かれた日常2』など。主な訳書に『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『エデュケーション』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』『射精責任』『PARIS The Memoir』『ハリウッドのプロデューサー、英国の城をセルフリノベする』など。

무라이 리코
1970년, 시즈오카현 출생. 번역가, 에세이스트. 주요 저서로 『오빠가 죽었다』 『낯선 여자가 매일 집에 온다』 『필요 없지만 고마워: 항상 무언가에 쫓기고, 누군가를 위해 지쳐있는 우리를 구원하는 기술』 『하리, 커다란 행복』 『가족』 『빨리 혼자가 되고 싶어!』 『무라이 씨 집의 생활』 『무라이 씨 집의 꽉꽉 채운 오븐구이』 『부시 망언록』 『갱년기 장애인 줄 알았는데 중병이었던 이야기』 『책 읽고 나서 산책 가자』 『쌍둥이 엄마 분투기』 『어느 번역가의 홀린 듯한 일상』 『시부모 간병』 등이 있다. 주요 번역서로 『요리가 자연스러워지는 쿠킹 클래스』, 『에듀케이션』, 『포식자 : 미국 전역을 충격에 빠뜨린 매복형 연쇄 살인마』,『사라진 모험가』, 『책임감 있게 사정하라』, 『PARIS The Memoir』, 『헐리웃 프로듀서, 영국의 성을 셀프 리노베이션하다』등.


X:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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