2025.6.10
一通のメールが、どん底だった私を翻訳の世界に引き戻してくれた 第10便 山あり谷ありの人生
300冊以上の日本文学作品を韓国語に翻訳されたクォンさんのエッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』を村井さんが読んだことがきっかけで、メールのやり取りが始まりました。
翻訳家であること、介護を経験をしていること、愛犬を亡くしたこと、そして50代女性という共通点が次から次へと出てきて…語り合いたいことが尽きないふたりの、ソウルと大津の間を飛び交う往復書簡エッセイです。
☆第1便と、第2便は韓国語でも読めます!
バナーイラスト 花松あゆみ
第10便 山あり谷ありの人生
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ナミさんへ
ナミさん、お元気ですか? 前回のお手紙では、あまりの寒さに「早く暖かくならないかな」などと書いておりましたが、こちらは春を飛び越えて、夏のような気温になってしまいました。ここ数日は、とても暑いです。山に近いため朝晩は冷え込みますが、日中はとにかく湿度が高いですね。琵琶湖の水は真っ青できらきらして美しいです。仕事場に差し込む日差しを遮ってくれるのは庭木だけですが、その庭木が見事に葉をつけて、それを見るとようやく、少しだけ気持ちが和らぐような気がします。しかし、ナミさんもきっとご存じのように、日本の夏は暑くて長いです。体調を崩さないようにと、今から警戒しております。
さて、この往復書簡も十便目。そして最後のお便りとなります。最後ということで、まずはナミさんにお礼を書かせてください。お忙しい日々のなかで、私からのとりとめもないメッセージに、いつも真摯なお返事を書いて下さって本当にありがとうございました。読むたびに元気を頂いたような気がしています。忙しい翻訳作業を多く抱えているなか、お返事を頂けたことに感謝しています。
ナミさんから初めてメールを頂いたとき、私は愛犬を失って、どん底の状態でした。仕事も投げ出して、毎日何をするでもなくぼんやりとしていました。メールのチェックも怠りがちになり、長年一緒に仕事をしてきた編集者たちからは、「大丈夫ですか?」とのメッセージがぽつりぽつりと届くようになっていました。実際のところ、私はあまり大丈夫ではなく、毎日、死んでしまった愛犬の写真を見ながら、「なんでこんなことが起きるのか」と悲しみ半分、怒り半分のような状態にありました。そしてやることといえば、YouTubeで動画を見たり、TikTokで知らない誰かの愛犬を眺めたりと、いわゆる「グダグダ」な状態だったのです……それも数ヶ月も。
ある日、多くの仕事のメールに交じって、見覚えのないアドレスから一通のメールが届きました。連日、インターネット上のショップから届くセールスメールとは、一見して違う雰囲気がありました。どなただろう……? と不思議に思いつつ開いて、そして文面を読んで、「うわあ、クォン・ナミさんだ!」と声が出ました。それほど驚きました。もちろん、ナミさんのエッセイはすでに読んでいたし、書評も書かせて頂いたことはしっかりと記憶にありました。でもまさか、あのナミさんから直接メッセージを頂くなんて! と大喜びしました。
すぐに返事を書いて、そこからナミさんとの交流がはじまりました。ナミさんとやりとりをするようになり、私はいつの間にか、翻訳という存在を思い出すようになっていました。そして連日、机に向かうようになっていました。「翻訳、もう辞めちゃおうと思ってたけど、やっぱりやろう! だってナミさんだってがんばってるし、励まして下さったし」と、あまりにも単純に機嫌をなおし(私の特技は、すぐに忘れることかもしれない!)、再び仕事に向かうようになったのでした。翻訳から離れようとしていた私の腕を引っぱって、翻訳の世界に引き戻してくれたのはナミさんです。
ナミさんは私に「私たち、前世はきっと双子ね」と言って下さいましたが、まさに、双子のもう一人が、ピンチの私を助けに来てくれたと思いました。私には双子の息子たちがいますが、なんだかとてもうれしいナミさんの言葉でした。
そこから、エッセイ本だけでは知ることができなかったナミさんの人生やナミさんのご家族のことを知るようになりました。仙台での日々(私は特に、ナミさんの仙台での日々の記述が好きです)、娘さんのこと、家族のこと、そしてお母様とのこと。私の人生も山あり谷ありで今まで来ましたが、ナミさんの人生も想像以上にダイナミックでした。でもナミさんは、そんな大波をザブザブとたくましく泳ぎ、娘さんを育て、そして数多くの日本文学を韓国の読者に届けてきて下さったんですね。なんだか普通のファンレターになってきましたが、今まで翻訳を続けて下さって本当にありがとうございます。そしてこれからも末永く、日本文学をよろしくお願いいたします。

先日、とびきりうれしいメールがナミさんから届きました。日本語学校に通うための、東京滞在をスタートされたとのこと。「ついにこの時が!」とうれしい気持ちでいっぱいです。人気者のナミさんのことですから、連日、スケジュールがいっぱいだろうと思いますが、是非一度、お会いできたらうれしいです。
私が初めてソウルに行ったのは、十九歳のときでした。実は渡韓一週間前に京都で車に撥ねられて、足に怪我を負っての旅でした。現地でおいしいものを食べ、ソウル大学の学生のみなさんと交流するうちに高熱が出ました。足の怪我が悪化したのです。そのとき、私を助けてくださったのはソウル大学の学生のみなさんと教授でした。そんな話も是非したい! 直接お会いしてお話ししたいことがたくさんあります。今からとても楽しみです。
とりとめのないお手紙になってしまいましたが、ナミさん、近日中にお会いできること、心から楽しみにしております。
村井理子

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