2025.3.11
私は一体、なんのために介護なんてしているのだろう 第7便 先の見えない老親の介護
クォン・ナミさんから村井理子さんへ
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理子さんへ
お返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。私より忙しい理子さんに、忙しいなんて言うのもアレですが……。毎日、北国で雪かきをしているように、せっせと働いています。実際のところ、外に降る雪を眺める余裕すらありません。翻訳の締め切りに追われているうちに、気づけばもう三月。このままでは、あっという間にクリスマスが来てしまいそうです。クリスマスを過ぎたら、私、来年還暦。あぁ、なんてこと!
そんな中、うれしいニュースが!
理子さん、二月一日付の日本経済新聞のコラムで、私の本『翻訳に生きて死んで』をご紹介いただき、本当にありがとうございました!
日本の知人が新聞を撮影して送ってくれたのですが、驚きのあまり心臓が飛び出しそうでした。コラムの最後に、「これから先、韓国文学ブームの後押しを得て、彼女の作品が日本でも多く出版されていくことだろう」と書いてくださいましたよね。実は、その予言のような言葉の通り一冊のエッセイ集が日本語版として出版されることになりました! 言葉にできないほどの喜びと感謝でいっぱいです。いくら感謝してもしきれません。
さて、理子さんのメールを読んで、お義母さまが寒い部屋でぽつんと座っている姿が目に浮かび、胸が締めつけられる思いがしました。
高齢のご両親が二人きりで暮らしていると、ご心配が尽きないでしょうね。体が楽なら心が落ち着かず、心が楽なら体が辛い。親を支えるというのは、きっとそういうものなのでしょう。私も、母が近くの町で一人暮らしをしていたときは、いつもそんな気持ちでした。毎日電話をして、週に一度は訪ねていましたが、それでもいつも申し訳ない思いでいっぱいでした。
その母が認知症になったとき、「これからの私の人生は暗闇だ」と絶望したことを、今でもはっきり覚えています。私は母の介護を担いました。最も過酷だったのは、疥癬にかかった母をわが家で介護していたことです。母は寝たきりでおむつをしていましたが、疥癬は感染力が強いため、どの病院も施設も受け入れてくれませんでした。
本来なら、国民健康保険公団の支援を受けて 「一日三時間の訪問介護サービス」を利用できるはずでした。しかし、「疥癬の感染リスクがある」という理由で、訪問介護士も来てくれませんでした。
母を介護する者は、この世で私たったひとりしかいませんでした。
母の疥癬治療のために、私は毎日、寝具を煮沸消毒し、服を着替えさせるといった作業を繰り返しました。全身に薬を塗り、十二時間後に洗い流すことも大変でしたが、幸いというか、これは週一回で済みました。寝たきりの母のおむつを替えるのも一苦労でしたが、体が丈夫とはいえない私も、もう慣れるしかありませんでした。
やっと替えさせ終えたと思ったら、またすぐにもれてしまう……。老人の体はウンチをするというより、だらだらと流れ出ているような状態ですね。五回たてつづけにおむつを交換したこともあります。私より重い母の体を動かしながらのおむつ替えは、腰の骨が折れそうなほどの重労働でした。
でも、おむつ替えよりも辛かったのは、認知症による母の妄想でした。
「お父はんが焼肉を買ってきたのに、あんたがドアを開けへんから入れへん!」
「**(孫)がウナギを届けてくれたのに、あんたが隠した!」
そんなときは、実際に焼肉やウナギを買ってくるしかありませんでした。話が全然通じないですから。そして何より困ったのは、「あんたがわいを殺そうとしとるのは知っとる!」と言って、薬を服用拒否することだったかな。
長い入院生活でできた褥瘡もきれいに治し、疥癬も完治させた後、私は母を施設に預けました。寝返りも打てない母を一人で介護するのは、限界でした。施設にいるときもほぼ毎日面会に行きましたが、後悔しています。もし母が戻ってきたら、どんな方法を使ってでも家で介護したいと。でも、また同じ状況になったらできないことはやはりできないでしょうね。
母が一年だけの苦しみで旅立ったことに感謝しています。もっと長かったら、私が先に倒れていたでしょう。
いつ終わるかわからない介護の日々。先が見えない。これが、介護をする側にとって一番辛いことかもしれません。理子さんの介護の苦しさが、痛いほど伝わってきます。自分の親じゃなかったら、私は理子さんのようにできなかったと思います。理子さんは偉いです。

韓国でも、介護の負担は女性に偏りがちです。病院や施設に行くと、いつも「娘さんですね? やっぱり、娘しかやらないですよね」といった言葉をよく聞きました。さらに、娘や嫁が在宅勤務をしていると、「時間に余裕がある」と思われ、周囲の人たちに都合よく使われてしまいます。締め切りに追われ、空をゆっくり眺める時間さえない私たちに対して、まるで当然のように。
先週、平凡社の編集者の野崎真鳥さんがソウルにいらして、翻訳家の藤田麗子さんと空港で三人で会いました。まるでドラマを撮影しているような気分でした。ソウルの空の下で、こんな組み合わせが実現するなんて!
いつか、理子さんともこうして会って一緒にビールを飲める日が来るのでしょうね。その日が訪れるのを、私も心から楽しみにしています。そのときは、締め切りに追われる生活も介護のことも忘れて、思いきり楽しみましょう!
最近、私は晩春に向けて新たな計画を立てています。きっと聞いたら驚かれると思います。気持ちはまだ20代のつもりで、やりたいことや夢は尽きません。でも、体はしっかり年齢を覚えていて、あちこち痛んだり凝ったり……なんて正直な体でしょう。
理子さん、たぶん私たちは思っているよりも近い未来に会うことになりそうです。楽しみです。
それでは、また。
ナミ

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*次回は4月15日(火)公開予定です。
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