2024.11.12
離婚と死別、けれど街は美しかった 第3便 それぞれの仙台
300冊以上の日本文学作品を韓国語に翻訳されたクォンさんのエッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』を村井さんが読んだことがきっかけで、メールのやり取りが始まりました。
翻訳家であること、介護経験をしていること、愛犬を亡くしたこと、そして50代女性という共通点が次から次へと出てきて…語り合いたいことが尽きないふたりの、ソウルと大津の間を飛び交う往復書簡エッセイです。
☆第1便と、第2便は韓国語でも読めます!
バナーイラスト 花松あゆみ
第3便 それぞれの仙台
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ナミさん、こんにちは。
お返事、ありがとうございました。ナミさんからメールが届くたびに、私だってわくわくしていますよ! お忙しいなか、書いて下さってありがとうございました。
ナミさんがどのように翻訳をされているのか知りたかった私にとっては、前回のお返事は感動ものでした。これまであまり公に語られてこなかった(?)ナミさん情報がたくさん詰まっていて大満足でした。私だけじゃなくて、この連載を楽しみにしてくれているかもしれない翻訳家の卵のみなさんにとっても、知りたかった情報がたくさん入っていたのではないかと思います。
なにせ、ナミさんの翻訳点数は三百を超えています。まだ三十冊に満たない私からすれば、超人レベルです。どうしたらそのパワーを蓄えることができるのか、同じ翻訳家として知りたかったのです。翻訳家の仕事はとても過酷。これはナミさんも賛成してくれると思いますが、翻訳って体力勝負なんですよね! なにせ、膨大な文字数と向き合うからです。翻訳の基本は、「最初から最後まで訳しきる」ことだと私は思っていますが、これがどれだけ大変な作業か、ナミさんと私で語り合ったら、きっと何時間も話は尽きないでしょう。「そうよ!」「もう本当に大変で!」……想像しただけで、なんだか笑いがこみ上げてしまいます。盛り上がりそうです。
ナミさんは主人公憑依型で、原文に忠実。著者が使った言葉を大切にして、訳す本を事前に読まないことが秘訣。ナミさんが大変多くの作品を手がけられた秘密がここにあるのかと納得できました。どのようにしたら翻訳家になれるのかという疑問は、翻訳の世界を目指す方は常に抱いていると思います。日本と韓国、出版に関する事情に違う部分はあるけれど、共通する秘訣はあるはずです。ナミさんから頂いた返信を読み、それはたぶん、自分の「好き」を信じて、追い続けること。そして、諦めないことなのではないかと感じました。この「諦めないこと」を支えたのは、娘さんの靜河さんの存在、そして彼女の成長なのかなとも感じました。
そろそろ、ナミさんと靜河さんが仙台旅行を楽しんで、韓国に戻られた頃かなと思いつつ、この手紙を書いています。ナミさんが二十二年前に仙台に三ヶ月住んだことがあり、靜河さんが当時の記憶をとても美しいものとして記憶していると読み、あの仙台の街並みに、ナミさんと幼い靜河さんの姿があったのかと思うと、不思議と感動してしまいます。そして成長した靜河さんと一緒に、たくさんの思い出が詰まった街を歩くナミさんを想像しています。
美しい仙台の街並みを笑顔で歩く二人。立町小学校、せんだいメディアテーク、そして領事館。すべて巡ることはできたでしょうか。
ナミさんのエッセイ集『翻訳に生きて死んで』の「シングルマザーになった日」を読み直しました。大雪の降る仙台の街を、膝まですっぽり雪に埋もれながら領事館に向かったナミさんを待っていたのは、無情にも始まってしまった領事館の昼休みでした。一時間も待ったのに、担当者は渋滞に巻き込まれて戻ってきません。その時のナミさんの心情を想像すると、こちらまで複雑な気持ちになります。「わかる」のです、その時のナミさんの心細さ、悲しさ、やるせなさが!
なにが昼休みじゃ! こちとら、離婚届を出しに来てるんじゃい!
そう言いながら、ナミさんが雪を蹴る姿まで浮かんできます。
結局、離婚届はあっけなく受理されます。そして家に向かったナミさんは、下校中の靜河さんにばったり出会います。その時初めて涙が出たと書かれていて、私は何度目かのその文章を読みながら、いつものように、頷いたのでした。張り詰めていた気持ちが、娘の顔を見て、ふと緩んだ瞬間です。何度読んでも、心が温かくなるシーンです。
実は私も、仙台には思い出があります。二〇一九年に兄が仙台に近い、多賀城という街で亡くなりました。兄の遺体を引き取るために、仙台から電車で十五分ほどの塩竈にある警察署に向かった日のことをはっきり覚えています。東北新幹線に乗ってようやくついた仙台の街は、危機的状況の私を感動させるほど美しかったのです。こんなに美しい街を訪ねることなく、私は今から死体となった兄と対面するのだと、なんとも表現できない気持ちになったのを覚えています。今となっては笑い話ですが、そんな状況でも、私は心のどこかで仙台観光ができなくて残念だと思っていたようです。これは紛れもなく自分のことなのですが、本当に脳天気だなと信じられない気持ちです。しかしもしかしたら、私の武器はこの「脳天気」にあるのかもしれません。
ナミさんが暮らした仙台の話にふたたび戻ります。
離婚届が受理された日、ベランダで雪だるまを作ったあと、ファミリーレストランに行ったナミさんと靜河さん。今回の仙台旅行でも、ファミリーレストランには行きましたか? 靜河さんは懐かしのビーフカレーを食べたのかな?
大雪の降る仙台の、夜のファミリーレストラン、そして静かに降る雪。オレンジ色の明かりの灯る店内で、ナミさんと靜河さんが食事をしている様子が目に浮かぶようです。仙台が靜河さんの記憶に美しく残っていることで、私まで幸せな気分になるって、なんだかちょっと図々しいかもしれない。でも不思議と、ナミさんと靜河さんの姿に、兄と彼が遺した一人息子の姿を重ね合わせ、そして彼らにも美しい思い出があったに違いないと私は少し安心するのです。
ナミさん、仙台はどうでしたか? 思い出の詰まった土地への旅行で、お疲れかもしれません。どうぞお体大切にしてください(でも、お返事楽しみにしております)。靜河さんにもよろしくお伝えください。
村井理子
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