2023.8.24
鏡が浮き彫りにするのは、目に見えない真実か、仮初の現実か 第10回 画家の目としての鏡の役割
このように鏡は絵画空間に奥行きを与えつつ、観る者に場面に隠された意味を示す役割も担っていた。しかし、鏡は真実を映すという面もあるが、その一方で映し出されたものは仮初のものに過ぎないのだ。その一つの例として十六世紀前半にアウクスブルクで活動していた画家ルーカス・フルテナーゲルの〈ハンス・ブルクマイアーとその妻アンナ〉(一五二九年)には、鏡と死というモチーフが盛り込まれている。ブルクマイアーは十五、六世紀アウクスブルクの画家であると同時に、当時革新的な色刷り版画の技法を確立した版画家でもあった。この夫婦肖像画を描いたフルテナーゲルは、その弟子である。暗い褐色の背景を負う画家とその妻アンナは黒い服に身を包み、鑑賞者の方に眼差しを投げかける。画家は黒い縁なし帽を被り、黒い上着の内から白い襟と紅の服を覗かせ、差し出す左手の人差し指には指輪がはまっている。アンナ・ブルクマイアー(旧姓アラーライ)は、褐色の髪を結うことなく垂らし、金の飾り付きのベルト以外黒い服には装飾はない。画面左側に浮かぶ小さな茶色の紙片には、「画家ヨハン・ブルクマイアー五六歳、妻アンナ・アラーライ五二歳」と記されている。アンナ夫人の手に柄の長い凸面鏡が握られているが、二人はそれを覗き込んではいない。そこに写るのは、二つの髑髏であった。そして、それは生身である画家夫妻の方をじっと眺めている。やがて彼らが迎える未来、つまり死の姿を露わにした鏡像は、ある意味真実をも表しているのだ。鏡の木の縁には、ラテン語で「己を認識せよ」という言葉が、そして画面右上には同じくラテン語で「鏡の中の我々の姿は何者か、いや何者でもない」と記されている(1)。この絵の中で、老いた画家夫婦は鏡に映る死の姿に怯えたりせず、むしろ冷静に受け止めているようだ。
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鏡も髑髏も共に「ヴァニタス(儚さや虚しさ)」を象徴する要素であるが、若い女性を主題にする時、また別の様相を呈してくる。鏡と死は深い関係を持っている。十六世紀に活躍したドイツの画家ハンス・バルドゥング・グリーンは、死と女性といった主題を幾つも取り上げてきたが、その中に〈女の三世代と死〉(一五〇九―一〇年頃)という寓意画がある。豊かな緑を湛える樹木を背にして、裸体の女性が凸面鏡を覗き込んでいる。白い肌を晒す女性は、恥部を隠すヴェールの他は何も身に着けず、代わりに長く美しい金髪の巻き毛をマントのように垂らしている。髪をかき上げる彼女は鏡にだけ目を向け、背後のものに気づく様子はない。骨に皮膚が張りついただけの干からびた姿。それは「死」そのものなのだ。死は、自らに引き寄せようとするかのように左手でヴェールを引っ張り、右手に高く砂時計を掲げ警告しているのだ。彼女の若く美しい時が間もなく終わることを、もしくは彼女の生の時間がそれ程残っていないことを。この死に魅入られた女性のそばには、年老いた女性と幼児が描かれている。女性は思いとどまらせようとするつもりか死の右腕に手をかけ、幼児はヴェールの反対側の端を手に取り、頭から被っている。その足元には棒馬と林檎らしき赤い果実が転がる。鏡に見入る若い女性と死は、ヴァニタス絵画のモチーフとして多く使われるが、虚栄の擬人像である女性に、死はその儚さを直視するよう促す役割を担っている。
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