2023.2.23
老婆か妖婦か。激しい魔女狩りが起こった理由とは 第6回 社会の害悪の象徴として描かれる魔女
これまで見てきたのは、魔女の害悪性を視覚的に共有し、当時の認識の中で定着させていった作品である。やがてそれは、十六世紀後半から十八世紀にかけて激しくなる魔女狩りとも結びついてゆく。女性や老人など社会的に弱い立場の人々を追い出す正当な理由付けのために、魔女のイメージや噂は蔓延っていた。結局のところ、魔女は思考の中に巣食う不安や不満が凝ったものではないだろうか。外ではなく内に潜むもの。その迷信的な恐怖や信仰が投影した幻想を描いたのが、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤであった。彼もまた魔女を主題とした作品を数多く手掛けている。そこには、オスナ公爵夫妻が所有していた魔女や妖術を描いた作品六点も含まれていた。その一つ〈魔女の夜宴〉(一七九七―九八年)は、黒い牡山羊姿の悪魔と魔女たちの集いを扱ったものである。
月が照らす荒野の中、赤い目を光らせた牡山羊は巨大な角に葉冠を戴き、黒い蹄のある前脚を魔女たちの方に差し伸べている。その頭上、夜空に紛れ舞うのは、黒い影の切れ端のような蝙蝠だ。魔女たちは、腕に抱えたものを悪魔に捧げようとしている風情である。彼女たちが生贄にするのは赤子なのだ。画面右側の白い装いの魔女は丸々と太った赤子を横抱きにし、その隣で黒い服の老婆が骨と皮ばかりの赤子を掲げている(1)。背を向けた横座りの魔女も捧げ物を用意してきたのか、頭に被った薄い卵色のショールの下からうつぶせに転がる赤子の小さな両脚が覗いている(2)。地面にも痩せこけた赤子が横たわっているが、それはすでに死体なのだろう。その肌は青ざめ僅かに黄ばんでいる(3)。さらに、上半身をさらし黄緑色のスカートをはいた魔女は、小さな子供もしくは人形を吊り下げた棒を抱えている(4)。当時、悪魔は子供や赤子を食すと信じられており、画家はその迷信に形を与えたと考えられる。
ゴヤ以前の「サバト」の絵画では、魔女と結びつく典型的な行為――悪魔との性行為、空中飛行、大釜での調合――が画面全体を覆うように描かれていることが多いが、ゴヤ作ではそれらを排しているからこそ、より生々しく不気味さが際立っている。その代わり、同時期に制作された版画集『ロス・カプリチョース』(一七九九年)の中に、〈練習〉(No.60)や〈美しき女教師〉(No.68)など黒いユーモアあふれる魔女とその行為が姿を現している。さらにゴヤは、一八二〇―二三年にも〈魔女たちのサバト〉という作品を制作しているが、黒い牡山羊を取り囲む魔女たちという構成は変わらないものの、後年作の方がより魔女たちの人間臭さや生々しい表情、老いや貧しさなどが浮き彫りになっているだろう。〈魔女の夜宴〉にも痩せこけた子供など、痛ましいまでの貧しさの片鱗がうかがえる。
ゴヤの活動していた時期、スペインでは魔女のサバトや悪魔を目撃したという噂が囁かれ、いまだその類の迷信は根強く蔓延っていた。「魔女」を描いた作品は知識人の間でも人気であったが、彼らは中世的な恐怖や迷信、それを煽る腐敗した教会を強く批判し、理性によってその蒙昧を晴らすよう主張していたのである。ゴヤもまたその精神を受け、民間伝承への盲目的な信奉者を批判的な眼差しで捉えていたのだろう。同じく魔女連作の一つ、〈魔女たちの飛翔〉(一七九八年頃)には、地面に臥せて耳をふさぐ男、頭から白い布を被って視界を隠す男、そして愚者の象徴である驢馬が描かれている。彼らの頭上にある飛翔は現実なのか、それとも目や耳を覆って知ろうとしない人たちの空想に過ぎないのか、このピーテル・ブリューゲル(父)を思わせる警句に満ちた絵画ははっきりと答えない。魔女を共同体から排除するため、その存在を焙り出していた教会や人々は、この二重の闇夜の中に囚われたままなのかもしれない。
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