よみタイ

酒井順子「言葉のあとさき」

「本当」の嘘っぽさ

 なぜそうなるのかといえば、この世には善意による嘘が溢れているからなのでしょう。
善意の人々はちょっとしたことでも謝意を連発するので、「ありがとう」「すみません」に含まれる真意の含有比率は今、著しく低下しています。それを補うために「本当」「マジ」は重用されているのだと思う。
 善意の人の嘘には、私はいつも感心しているのでした。たとえば、コロナ太りした人がいたとしましょう。
「ステイホームですっかり太っちゃって……、嫌になっちゃう」
 という本人の発言に対して、
「そう? 全然わからないけど?」
 と返すことができる人が、この世にはたくさんいるのです。その人達は、会った瞬間に「あ、太った」と思っていても、そのことを全く表情にも言葉にも出さない思いやりを持っている。
 その手の人は、おじさんの駄洒落にも腹をよじって笑うことができるし、あまり嬉しくないものをプレゼントされても大喜びすることができるもの。「気遣い」「心配り」とも言われるその手の行為はしかし、よく考えるならば「嘘」でもあるのでした。
 相手を傷つけないための、そしてその場の雰囲気を和やかにするための嘘が、この世には横溢おういつしています。善人であればあるほど、善意の嘘の量も多くなる。
 そういった部分でバカ正直な気のある私はつい、自分が正直であるのと同様に他人も正直であると思いがちなのですが、それは明らかに間違いなのです。善意の人々による思いやりの嘘のお陰で世間の表面は穏やかに保たれるのであり、私のような正直者だらけだったら、どれほどギスギスすることか。
 善意の人々は、嘘の裏にある真実に気づいていないわけではありません。太った人には「太った」と思い、駄洒落には「面白くない」と思い、嬉しくないプレゼントには「うっ……」と思っているのだけれど、善意によって磨かれた大竹しのぶもかくやの演技力によって、本当の思いとは正反対の表情を浮かべることができるのです。
 対して正直者の私はといえば、一応は大人としての分別が働くようになったので、
「太っちゃって……」
 と言う人に対して、
「本当だ、結構キテるね!」
 とは言わず、ただ黙っていることはできるようになりました。が、その沈黙から「結構キテるね!」という真意が滴り落ちていそうで怖い。
 善意の人による善意の嘘にはいつも救われている私ですが、後から考えて「あの時、あの人は嘘をついて私が恥を掻かないようにしてくれていたのだなぁ」と思うと、いつも恥ずかしくて消え入りそうになるものです。たとえば私は以前、とある偉い方から、
「エッセイ、いつも読んでます! 面白いですよねぇ」
 と褒めていただいたのでホクホクしていたのですが、しばらくしてその方のインタビュー記事を読んでいたところ、「人に会ったら必ず、その人のことを一度は褒めるように努力している」と書いてあるのを発見。
「努力して褒めてくださっていたのか……」
 と、申し訳ない気持ちになったことでした。善意の嘘は、時に人を寂しい気持ちにさせることもあるのです。
 善意による嘘は、マナーとしての嘘と言うこともできましょう。それは相手との間に良好なコミュニケーションを保つための嘘であり、そこに悪意は全くないのです。
 そしてそのような嘘が世に溢れているからこそ、私達は心の底から何かを伝えたい時に、「これは本当なのです、嘘じゃありません」
 と、必死にならざるを得ないのでした。さほど謝罪する気持ちはないのに言う「すみません」や、習慣として口をつく「ありがとう」だらけの世で生きていると、本気で(ここでは「マジ」ではなく「ほんき」)「すみません」や「ありがとう」を言いたい時、それ単体では、真意が伝わらないのではないかという恐怖に襲われる。
 だからこそ、
「本当にありがとう!」
「マジですみません!」
となるのであり、それでもまだ薄いと思ったならば、
「本当に本当に、ありがとう!」
 といったトッピング増量策をとることも。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『下に見る人』『ユーミンの罪』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『次の人、どうぞ!』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『処女の道程』など多数。

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