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村井理子「犬と本とごはんがあれば 湖畔の読書時間」
翻訳家の村井理子さんによるエッセイ『兄の終い』。
実兄の孤独死をめぐる顚末を、怒り、哀しみ、そして、ほんの少しのユーモアで描いた話題作です。
『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖』など、数多くの注目翻訳作品を手掛ける村井さんが琵琶湖畔に暮らして、今年で15年になりました。
夫、10代の双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリー君と送る賑やかな毎日―。
公私ともに古今東西の書籍にふれる村井さんは、日々何を読み、何を思い、どう暮らしているのでしょうか。
人気翻訳家によるエッセイ+読書案内。

料理への重すぎる思いから、20年を経ての解脱—皿の上に念を盛り付けない

 主婦として家事を切り盛りして20年以上経過するが、最近になってようやく気づいたことがある。何を今更と思うのだが、私にとってはなかなかどうして大きな発見だった。私がもっとも得意としていたものの、ここ数年で完全に熱意を失い、気持ちが冷め切ってしまっていた家事、そう、料理についてである。
 なぜ料理がそこまで辛くなってしまったのか、自分なりにしっかりと考えてみた。まずは、自分の味に飽きたことがひとつ。そして、拒絶されることのがっかり感に、そろそろ疲れてきたのがもうひとつの理由だった(それはすでにこの連載でも書いたことがある )。料理本とにらめっこして、どれだけ工夫を重ねても、新しいメニューにチャレンジすればするほど、「美味しい料理を作らなければ」という強い思い(そして重い)だけが空回りしたと気づく、あの瞬間である。
 さあどうぞ、食べてみて! と張り切って出したとき、例えば子どもが微妙な表情をしつつも、「おいしいよ。でもお腹がいっぱいなんだ」と、私に対する優しさを最大限に発揮して言ったとする。そして実際に息子たちは、そう言う場合が多い。そこで私はがっかりするのだが、同時にとても気の毒になって、そのうえじわじわと腹が立つのである。この、がっかり・気の毒・腹が立つのコンボが、20年ほどの時を経て私を打ちのめしたのだと気づいたのだ。大げさだが。
そしてなにより、「軽く腹が立つ自分」にも、軽く腹が立つ。なぜかというと、そこに「作ってやったのだから、喜んで食べるのは当然だ」みたいな、自分のエゴの存在をちらりと感じてしまうからだ。そして、その私の一方通行な気持ちを汲み取った子どもが、「おいしい」と言わねばならぬシチュエーションを作っている、そんな自分が嫌になる。
 それじゃあどうすればいいんだよ……私が子どもの立場だったら、100%そう言うだろう。私だったら、絶対に、はっきりと、辛辣しんらつに言う。母さんは考え過ぎじゃないの? そんな一方的な思いを押しつけられても、こっちだって困る。っていうか、重すぎるよ、その気持ち。私はべつに、手の込んだものを作って欲しいなんて言ってないよね? 簡単なものでいいのに、勝手に焦ってるのはそっちじゃん……私だったらこのように、流れるように言いますね。というか、言ったことがあります、実の母に。
 自分の子ども時代を回想しつつ、熟考を重ねたとある日の夕方、私はとうとう最後の真実に辿りついた。私という人間は、料理だけに限らず、何かと「考え過ぎである」ということに。読者の皆さんはここで、「ようやく気づいてくれたか。長い道のりだったな」と思われるだろう。とにかく私は、自分の気持ちが先行し、それが常に空回りするのだ。特に、相手が自分の子どもだと、その傾向が顕著であると認めざるを得ない。だから私は自分自身に、肩の力を抜くこと、そして何より、「皿の上に自分の念まで盛り付けない」という掟を定めた。20年目にして解脱である。

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村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な連載に「村井さんちの生活」(新潮社「Webでも考える人」)、「犬(きみ)がいるから」(亜紀書房「あき地」)。最新刊は『兄の終い』 。主な著書に『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)など。主な訳書に『サカナ・レッスン』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『黄金州の殺人鬼』など。
近著は、エッセイ集『村井さんちの生活』(新潮社)と、翻訳書『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』(双葉社)。

ツイッター:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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