2020.7.31
「陰キャ」と「根暗」の違い
言葉のあとさき 第9回
若者用語としてよく耳にする、「陰キャ」。陰気なキャラクターの略と思われ、反対語としては「陽キャ」もあるようです。
この言葉を聞いて大人が思い出すのは、一九八〇年代に流行した「根暗」と「根明」です。根暗の時代から三十余年が経っても、「明」「暗」とか「陰」「陽」などと二分する遊びの魅力は、失われていないようなのでした。
「根暗」はタモリさんが作った言葉である、という話は有名です。大御所司会者であるタモリさんは、デビュー当時はお笑いタレントでした。お笑いに携わっている人は、往々にして明るい性格だと思われがち。
「しかし自分は、根は暗いのだ」
といった発言があったところから「根暗」は生まれた、とされているのです。
根の暗さを宣言せずとも、タモリさんは決して明るい性格ではないのでは、という感じは子供心にも抱いていたのですが、しかしこの「根っこは暗い」ことを表現する言葉がウケたのは、当時の時代背景とおおいに関係していましょう。
一九八〇年代は、明るく、楽しく、軽いことが正義とされた時代でした。フジテレビは「楽しくなければテレビじゃない」というスローガンのもとに人心を掌握し、日本中に“軽チャー”の魅力を知らしめました。経済は、後にバブルと言われるピークへ向けて、着々と歩を進めていたのであり、八〇年代の人々の浮かれぶりは、すでに史実としてよく知られるところとなっていましょう。
皆がふわふわとしたものに乗っかってはしゃいでいる八〇年代ではありましたが、しかし全ての人がその状態にしっくりしたものを感じていたわけではありません。周囲のノリに合わせてはしゃぎながらも居心地の悪さを感じる人も多かったのであり、そんな人にしっくりくる言葉が、「根暗」。自分の根っこは暗がりの方につながっている、と思う人は、タモリさんだけではなかったのです。
「根暗」はすなわち、時代の流れに対する反発を告白する言葉でした。第二次世界大戦中、正直な人が、
「どうせ日本は負けるんだから」
などと呟くと、
「他人に聞かれたらひどい目にあうから、そんなことを言わない方がいい」
と、近くにいる人はその発言を諌めたのだそう。時代の流れに逆らうという意味では、戦争中の「どうせ負ける」発言と、八〇年代の根暗宣言には共通した部分があるといえましょう。八〇年代にも、「自分は本当は暗い」などと言ったら石もて追われる恐れはあったはずですが、それでも言わずにいられない人はいたのです。
戦争中、「どうせ負ける」発言を憲兵などに聞かれたら、制裁を加えられたことでしょう。そして八〇年代、
「本当は暗いのです」
と告白をした人も、周囲からの揶揄によって吊るし上げられることになりました。ギラギラした時代の中では、暗さはダサさ。
「あいつ、根暗だから」
と、延々と嘲笑されることになりました。
明るいフリはしているが、根っこは違う。……という意思を表する言葉が「根暗」であったとしたら、今の「陰キャ」は、似て非なる意味を持っているように思います。すなわち、表側だけが明るいのが「根暗」であったのに対して、「陰キャ」の人は、表面だけが暗いのではないか。
「陰キャ」の「キャ」は「キャラクター」の意であるわけで、「陰キャ」という言葉が表現するのは「陰気な性格」ということになりましょう。が、昨今の「キャラ」という言葉の使われ方から考えると、必ずしも「陰キャ」の「キャ」が「性格」という意味で使用されているわけではなさそうです。
「高校まではまじめキャラだったけど、大学に入ったんだしキャラ変したい」
とか、
「ずっといじられキャラをやってたんすよね、俺」
といった言葉から理解できるのは、「キャラ」は生まれ持った不変の性格を示しているわけではなさそう、ということ。同じグループの中にキャラがかぶる人がいると違うキャラになってみたり、周囲からの期待に応えて、本来の性格とは異なるキャラを演じることもある模様です。その気になれば変更や上書きが可能な仮面のようなものが、「キャラ」であるらしい。