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「陰キャ」と「根暗」の違い

 そうしてみると「陰キャ」とは、陰気な「キャラ」ではあるものの、本当の性格は陰気と言い切れない、ということになります。もちろん、キャラと性格は重なる部分が大きいのでしょうが、本来の性格とは異なるキャラで生きる選択も可能なのだから。
 となると「陽キャ」の人も、「スクールカーストの上位をキープしたい」とか「モテたい」とか「親に心配をかけないように」など様々な事情によって明るいキャラを演じているだけで、根っこは暗いのかもしれない。つまり「陽キャ」だが「根暗」である、という若かりし頃のタモリさんのような人もいることになります。
 ここで我が身を振り返ってみると、若い頃の自分は、まさに「陽キャ」だが「根暗」でした。内向的でむっつりスケベで無口、と暗い性格の要素を兼ね備えている私ですが、恥を忍んで申しますと、今で言うところの「パリピ」で「リア充」で「ウェイ系」として青春時代を過ごしていました。ちなみにウェイ系とは、何かというと「ウェーイ!」と盛り上がるノリの良い若者のこと。
 当時の遊興施設であるディスコなどで「ウェーイ!」と言いがちだった私は、暗い性格で明るいライフスタイルを送っていたのです。なぜこのようなねじれ現象が起こったのかと考えてみますと、私の精神的資質と肉体的資質の間にそもそも、ねじれがあったからなのでしょう。
 スポーツ好きの人は性格が明るく、スポーツ嫌いの人は暗い、というイメージが世にはあるものです。その確率は確かに高いとは思いますがそうでもない人もいて、私もその一人。スポーツのみならず、歌うとか踊るとか、ご陽気系の行為は全て好き。ついでに言うなら露出度の高い服の着用や日焼け行為なども、やぶさかでなかったものです。
 身体を使って何かをすることに純粋な喜びを感じる体質だったせいで、私の生活は今で言うところの「リア充」のそれでした。文化部系の人を人と思っていなかったところもあり、その手の人のことは「マンケン」と呼んでいたものです(漫画研究会に入っているようなタイプ、の意)。
 スポーツや夜遊び、純・不純を問わない異性交遊等に誘われるとホイホイとついていくノリの軽さも持ち合わせていた私。しかしその手の現場では、常に違和感を覚えていたのも、事実です。
 その手の場にいる友人知人は、明るい人ばかりであり、そこに入ると自分の性格は際立って暗い。当時、明るい女の子を表現するオノマトペとして「キャピキャピ」というものがありましたが、私の性質には一匙の「キャピ」さも無かったのです。
 が、スポーツやウェイ系の現場には決して足を踏み入れない静かで知的な人達の中に入ってみると、今度は自分が際立っておめでたい存在感として浮き上がり、「お呼びでない」感が充満。そんなわけで、どこにいても補助席に座っているような落ち着かない気持ちでいましたっけ。
 しかし今時の「陰キャ」「陽キャ」という言葉を聞いた時、私は一つの落としどころを見つけた気がしたのです。ウェイ系パリピだが性格は暗いという自分の存在感を何と表現していいものか何十年も不明のままでしたが、あの頃の自分は、つまり「陽キャ」で「根暗」だったのではないか、と。
 当時の仲の良い友人知人は皆、当然のようにいつもウェイウェイ言っている「陽キャ」の「根明」でした。そんなグループに属している私は、静かな人達から見たら「あちら側の人」だったことでしょう。が、ウェイ系が好む「行為」のみを愛好して、その魂を共有できずにいた私は、「あちら」にも「こちら」にも所属感を得られなかった。それを「陽キャ」の「根暗」、と表現できていたら楽だったのに、と思います。
 最近、知り合いの女子大学生と話していたところ、彼女が、
「友人達はみんなパリピっぽい感じで、一緒にいると疲れる」
 とこぼしていました。しかしそんな彼女も、私から見ればじゅうぶんにパリピでリア充。
「でも私は一人で本を読むのも好きだけれど、本が好きなんていう子は、友達の中に一人もいないですよ」
 と彼女が言うので、
「もしやあなたも、『陽キャ』で『根暗』の仲間なのでは?」
 と、尋ねてみたのです。
「何ですか、根暗って?」
 という問いに、しばし説明の時間を要しはしましたが、どうやら彼女も私と似たような体質である模様。
「その孤独感は、これからもずっと続くと思うよ……」
 と、私は予言してみたのです。
 とはいえ私の場合、陽キャで根暗というねじれ現象の居心地の悪さは、大人になるにつれ、少し弱まってきたのでした。中年にもなれば、
「ウェーイ!」
 というノリが重視される現場は減ってきます。ウェイ系の友人達もそれぞれ次第に落ち着いたり枯れたりしてきて、自分だけが朽葉色、という感じではなくなってきたのです。若い頃の自分は、肉体だけが若者で心は中年だったのかもしれぬ、という気もしてきました。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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