よみタイ

加門七海「着物憑き」
あの世とこの世のあわい。
幼いころからそれを感じ取る加門氏は、
ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。
それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに
「取り憑かれた」かのように……。
着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。

薄物(三)

 浮世絵にも、夕涼みや川遊びなど、夏着物の人物と水の取り合わせは多い。
 川端柳が夕風になびき、遠くに花火、手前に朝顔、あるいは蛍が飛び違い、屋内ならば風鈴、と涼を呼ぶ組み合わせというものは、昔も今も変わらない。
 水にも薄物にも、重要なのは透明感だ。それが上手く描けていれば、我々はそこに夏ならではの清涼を得ることが叶う。
 以前に見た掛け軸も、水と薄物の取り合わせだった。
 夜の桟橋の先に、団扇を持った女性がひとり佇む姿を描いたものだ。
 いわゆる美人画の部類だろう。多分、時代は大正辺り。竹久夢二を意識して描かれたと思しき女は、日本髪に黒い薄物、団扇を胸元に持った袖が少し風を孕んでいた。
 涼しげな、と言いたいところだが、この絵は感心できなかった。
 達者な筆ではなかったし、保存状態も悪かったからだ。
 絵の所有者は美術コレクターの男性だ。
 男性は伯父の友人で、当時もう、初老と言っていい年だった。個人的なことはほとんど知らないが、会社経営者という話で、いつも仕立ての良いスーツを着ていた。
 初めに言ってしまうなら、私はその人が好きではなかった。
 金に飽かして絵を買い漁り、折に触れて自慢を聞かせる人物だ。
 私が美術館に勤めていた頃は、親戚の集まりに、わざわざ絵画を見せにきた。そこでうかうかとお世辞を言えば、××美術館が認めたなどと大声で言い、食べ物が出ている席で絵を広げてはいけないと言えば、生意気だと怒り出した。
 そんなわけで私は彼を嫌っていたが、所蔵品は悪くなかった。ピンキリではあるものの、名のある作家の優品も、ひとつならず彼は所有していた。
 掛け軸は、そんな男が持ってきて、親戚の家の長押なげしに引っかけられた。
「苦労して、手に入れたんだよ」
 悦に入った様子で、彼は私たちを見回した。
 部屋には数人がいたはずだ。いつもは誰かがお愛想程度には褒めるのだけど、そのときは皆、へえ、と言うきりで具体的な感想を述べる人はいなかった。
 私もまた、首を傾げた。
 男は近代絵画が好きで、軸装の日本画は収集対象ではなかったはずだ。
 加えて、長押に掛けられた絵は完全に素人の作品だった。
 表装も紙だし、軸巻も白木だ。誰が描いたかは知らないが、手すさびに描いた作品を小遣いで軸装に仕立てた程度のものではないのか。
 男自身への好悪はともかく、
(目のない人ではなかったはずだけど……)
 こんな絵を自慢げに見せにくること自体が不可解だ。
 コレクションの範疇を超えるほど、この絵のどこが気に入ったのか。
「どう?」
 男は私を見た。テーブルを回り込み、私は絵に近づいた。作者の名前は記されてない。余白に染みが浮いていた。
「どこで手に入れたんですか」
 訊くと、男は得々として喋り始めた。
「お盆で墓参りに帰省したとき、菩提寺でつきあいのある寺の尼さんが来ていてな。コレクションの話をしたら、寺にもいくつか掛け軸があるって言うから、見せてもらいに行ったんだ。たいした物はなかったんだけど、床の間に掛けてあったこれが気に入ってね。無理に譲ってもらったんだよ。尼さんはかなり渋ったけどね。まあ、あそこにあるよりは、俺が持っていたほうがいいと思って」
 話を聞きながら、私はまた、テーブルを隔てた位置に戻った。
 描かれた川は暗く、桟橋は朽ちかけているようで陰気臭い。川風に微笑んでいる女の顔も嫌だった。意地の悪い顔をしている。
 だが、それらをりょうする強烈な違和感を、私は抱いた。
(何かが変だ)
 しかし、何が変なのかわからない。
 親戚たちは言葉を発しない。男は私を見つめている。何か言わねばならないだろうが、この絵を褒めるわけにはいかない。
(正直に言ったら、また怒るかも)
 仕方ない。
 私は口を開こうとした。そのとき――一瞬にして霧が晴れたがごとく「見えた」のだ。
 目をしばたたいてのち、私は言った。
「これ、幽霊画ですよね」
「え?」
「紗の着物の下、骸骨ですよ」
 ざわめきが上がった。
「うわ、本当だ」
「やだ、怖い」
 男は最初から気づいていたのか。いや、ぎょっとして、絵を見直した様子を見ると、多分、気づいてなかったのだろう。
 露になった首から上と片腕には肉がある。しかし、黒い薄物から透き見える部分はすべて白骨だった。
 それらは一度指摘すれば、あからさますぎるほど明瞭に描かれていた。
 だが。
 誰にも見えなかったのだ。
 心霊写真でもよくある話だ。単なるわかりづらさではなくて、渦中にいる人には見えない。わからない。それが明確になったときには、大概、ふたつの結果が待っている。
 ひとつは呪縛が解ける。もうひとつは何かが起きる、だ。
 なぜ、絵に銘が記されていないのか。
 ――記してはいけなかったからだ。
 なぜ、尼僧が手放すのを嫌がったのか。
 ――ただの愛着ではなかったからだ。
 お盆に絵を出していたのも、きっと理由のあることだ。
 周りはにわかじょうぜつになった。ちょっとした怪談を愉しむ風情だ。男も困惑から徐々に離れて、絵の趣向を面白がった。
 しかし、私は言わざるを得なかった。
「お寺に返したほうがいいと思います」
 
 その後、彼が絵をどうしたかは聞いていない。
 なぜなら男はあれ以来、私がいるときに顔を出さなくなったからだ。自分を愉快にする人間ではないとさとってくれたに違いない。
 まあ、考えてみれば、水も女ももうろうとした薄物の先も、霊界という涼味を描く格好のモチーフに違いない。の向こうや、あんどんの火灯りの陰に霊たちはいる。
 だから、あの絵もありきたりな幽霊画としてもいいのかもしれない。
 幽霊画というのは、物によっては魔除けになるので、所蔵すること自体は悪くない。
 しかし最前記したごとく、自分の趣味ではない物を突然欲してしまったときは、着物にしろ掛け軸にしろ、充分、気をつけたほうがいい。
 そういうときは、きっと何かが潜んでいるから。

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加門七海

かもん・ななみ●東京都生まれ。多摩美術大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなどさまざまな分野で活躍している。ひとり百物語を特技とするほど、豊富な心霊体験を持つ。また、オカルト・ルポルタージュでも注目を集めている。著書にエッセイ『うわさの神仏』『うわさの人物』『猫怪々』『お祓い日和 その作法と実践』『鍛える聖地』『大江戸魔方陣』『もののけ物語』『たてもの怪談』、小説に『祝山』『目嚢』など多数。

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