よみタイ

群ようこ「いかがなものか」
ふだん何となく思っていながらも保留にしがち、あるいは言い切れないこと。
世間で起こる事件、流行、事柄、町で見かけたことなどについて、
違和感と疑問をスパッと投げかける。
群ようこ流、一刀両断エッセイ。

第17回 母と娘

 季節の変わり目だから仕方がないのかもしれないが、日々、気温の上下が激しい。そんななかの初夏のような気温の高い日、私は用事があって電車に乗っていた。座席はすべて埋まり、車内は百パーセントくらいの乗車率だった。すると母と娘らしき二人連れが乗ってきた。娘の年齢が二十代半ばで、母親は五十代のはじめくらいに見受けられた。
 娘は白いノースリーブを着て、母親は同色の半袖。二人ともボトムスはケミカルウォッシュのジーンズで、娘のほうにはびょうがたくさんついている。母娘ともどもアイメイクをしっかりとしていて、彼女たちはすでに夏の雰囲気を醸し出していた。乗ってすぐ、娘のほうが、
「あ、忘れた」
 と肩にかけていた大きなピンクのショルダーバッグの中をごそごそと探しはじめた。
「えっ、何?」
 母親もバッグの中をのぞきこんでいると、娘はスプレー缶を取り出した。
「家、出るときにやらなかった」
 そういいながら娘は、右手にスプレー缶を持ち、露出した両腕めがけて、勢いよく液体を噴射したのである。いったい何を噴射したのかと彼女の手元を見たら、それは日焼け止めだった。電車内なので遠くのほうまでは聞こえなかったが、周囲、二メートルくらいにはスプレーの音が聞こえるし、匂いも漂ってきた。
(どうしてこんなところで、こんなことをするんだ)
 そばにいた私は、噴射された日焼け止めを吸い込むのがいやなので、びっくりしつつも、ゆっくりと五歩ほど退いて避難した。周囲ではシューッという音がしたとたん、スマホから顔を上げてきょろきょろと周囲を見回す人が多くなり、匂いが漂ってきて何があったのかと匂いがするほうを見る人もいた。そして私や彼らの視線を浴びても母娘は平気な顔をしているのだった。
 娘はそんなことなどおかまいなしで、スプレーをバッグの中に戻した。そして髪の毛をまとめ直そうと、結わえていたゴムをはずした。それを見たそばにいた中年男性が、
「ちょっとあなた、こんなところでスプレーなんか使っちゃだめでしょう」
 と注意した。周囲の人々も、口には出さないけれども、「そうよ」「そうだよね」という雰囲気になった。しかし当の母娘はちらりと男性のほうを見たが、背を向けて完全に無視。娘は手櫛で髪の毛をとかしたあと、指についた髪の毛を床に払い落として、髪の毛を結い直した。五歩退避した私と母娘の間に立っていた人たちが、駅で降りてしまったので、私は二人の会話が丸聞こえになった。
 娘が顔をしかめ、
「あの人、怖い。どうしてみんながいるところで、あんなこというのかしら」
 と小声で怒っている。
「本当よね、人に恥をかかせてどういうつもりなのかしら。最近はあんなふうに変な人がいるからいやよね。また何をいってくるかわからないから、知らんぷりをしていたほうがいいわよ」
 母親もそんな調子なので、私はそれを聞きながら、
(変なのは、あんたたちだよ)
 と思わず口から出そうになった。
 私の目の前の座席に座っていた大学生らしき男性は、上目づかいに母娘の姿を見ていたが、呆れた表情でふうっと息を吐いて、スマホの画面に目を落とした。私は次の駅で降りたので、あとの状況はわからないが、塗るタイプの日焼け止めでもちょっと驚くのに、電車の中で平気でスプレーを噴射する娘と、それに対して叱りもしない母親に、
「今はこんな状況なの?」
 とただただびっくりし、呆れたのだった。

 平成になってからだが、子供が自分の親のことを、「父」「母」ではなく、「お父さん」「お母さん」というのが、当たり前になってしまった。たまに小学生できちんと話せる子がいると、ご両親のきちんとしたしつけがしのばれて、
「いい子、いい子」
 と抱きしめたくなる。母親と一緒にいて、自分の子供が、「お母さん」といっても、
「母でしょ」
 と注意する親はほとんどいない。人前で我が子に恥をかかせてはいけないという気持ちもあるのかもしれないけれど、小声で優しく注意すればいいのではないか。「お母さん」と呼ばれた母親は、注意もせずににこにこしている。そういう姿を見るたびに、私は、
「親のしつけがなっとらん」
 と怒っていた。どんな偏差値の高い学校に通っていたとしても、そういうところで人としてのマイナス点がつけられたのも、失われてきたのかもしれない。
 アナウンスの訓練を受け、言葉を大事にするはずの女性アナウンサーも、ラジオの番組でフリートークをしているときに、「私のおばあちゃんが……」を連発していた。自分の尊敬する人であるようだったが、自分の身内に対してそう呼べるのは、どう考えても小学生までだろう。それ以降は本人の自覚の問題だ。高学歴で言葉を仕事にする人でさえ、三十歳近くなってもそのようなもののいい方をする。昔は、
「お里が知れる」
 などといったものだが、この言葉も死語になったのだ。
 私よりも年上の人たちは、自分の身内に対して、そのようないい方はしなかった。中学校、あるいは小学校しか出ていなかったとしても、「うちの父、母」といい、ふざけたときは、「おとうちゃん、おかあちゃん」などといってはいたが、ふつうに他人と話す場合は、けじめをつけていた。きちんと常識的な礼儀が備わり、そのように親もちゃんとしつけていたのである。しかし今はそうではなさそうだ。とにかく子供に嫌われたくないし、自分もいうのが嫌なので、黙っている。だいたい親のほうに「もののいい方が変」という認識がないのだ。
 親だけの問題じゃなくて、昔は周囲の人も子供がよろしくない振る舞いをすると、注意したりもした。私も子供のときに、他人様の家の生け垣をよじ登っていたら、通りすがりの知らないおばさんから、
「そういうことはやっちゃだめ」
 と叱られた。親の目が届かないときには、他人が叱ってくれたのである。しかし今は他人が叱ると親がありがたく思うどころか、恨んだりする。私の周囲でも、へたに子供を注意すると、親が文句をいってくるので、見て見ぬ振りをしているという話をよく聞く。どこか変だ。
 電車内でスプレーを噴射した娘に対して、きちんと「それはいけない」といった男性は、立派である。自分もそういう人にならなければいけないとは思うが、頭の中に浮かんだ言葉が、喉に詰まって出てこない。そして腹の中でいつまでもぶつぶついっている。毎回、
(それはまずいだろう)
 といいたくなる行為をしている人を見ると、何かいわなければと思いつつ、すすっと退散してしまう自分が情けなくなるのである。 

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社、84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』を刊行。同年に同社を退職し、専業作家となる。小説に『無印OL物語』などの<無印>シリーズ、『かもめ食堂』『婚約迷走中 パンとスープとネコ日和』『咳をしても一人と一匹』『散歩するネコ れんげ荘物語』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『よれよれ肉体百科』『かるい生活』『まあまあの日々』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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