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加門七海「着物憑き」
あの世とこの世のあわい。
幼いころからそれを感じ取る加門氏は、
ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。
それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに
「取り憑かれた」かのように……。
着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。

薄物(二)

 前回に続き、少し夏着物の話をしよう。
 夏着物には既に記した麻以外に、しゃ、そして縮みと呼ばれる物がある。
 最近では夏大島、夏ゆう、夏黄八など、あわせ向きの紬を工夫した新たな夏物も誕生している。
 しつこく言い続けているが、温暖化やヒートアイランド現象が止まらない今、着物産業にもこういった新たな工夫は必要だろう。
 透け感のある紗・絽・羅などは薄物とも呼ばれている。一番、歴史が古いのは羅だ。
 羅の織物は正倉院宝物の中にも遺っている。
 隙間を空けつつ、った糸を絡ませるようにして織っていく羅は、要は網の一種であり、透けるというよりは糸の間から向こうが見えるといった感じだ。
 見ている分にはレース編みの一種にも思えるが、これをはたでやるのがすごい。羅には専用の機がある。
 普通の織機で、シンプルに織り出す薄物は紗だ。そこに模様を織り出すと紋紗。生地は「紗が掛かる」という表現があるとおり、うっすらと向こうを透き見することができる。
 隙間のない平織りと透け感のある紗織りを規則的に組み合わせ、しまを織り出したものは絽と呼ばれる。
 間隔や縞の縦横によって平絽とか三本絽、駒絽、竪絽など様々に呼び分けられている。
 絽は三種の中で一番透けない。それゆえか、現在の正装で用いられるのは圧倒的に絽が多い。
 歴史の古さは羅・紗・絽の順。涼しさもまた、その順番だ。
 また、三種からは外れるが、過去、せみはねのように薄いとされたのが「明石あかし縮み」だ。
 古いものになればなるほど薄く、大正時代の明石縮みなどはもう、布を通して掌の皺まではっきり映るほど薄い。見ているだけで清涼感が漂ってくるような薄物だ。
 現在でも明石縮みは生産されている。けれど、昔のものよりは余程厚い。絽や紗の着物もこのところ少しずつ厚くなり、透ける度合いも減っている気がする。
 当然ながら、薄物はじゅばんなどの下着に気を遣わねばならない。ゆえに、敬遠する人も多いと聞いた。襦袢を着て薄物を纏うより、半襦袢にステテコで透けない浴衣や麻の着物を着るほうがまったく涼しいと言うわけだ。
 気持ちはわかる。
 もったいないとは思うものの、今の気温と常識では仕方ないことに違いない。
 昔――昭和中頃までは、着衣も家もひどく開放的だった。
 夏場は庭で行水するのが普通の風景だった頃までは、薄物は薄物として透けるのもまた当然だった。
 和装用のブラジャーが出てきたのはつい最近だ。それまでの女性は皆ノーブラ。気になる人はさらしを巻いたが、赤ん坊にお乳を飲ませるため、電車やバスの中で片肌脱ぎになる女性の姿も、決して珍しいことではなかった。
 真偽のほどは定かでないが、女性の着物にある脇の下の空間、やつくちはそこからおっぱいを出して赤ん坊に含ませるためのものだと聞いたこともある。
 また、お婆ちゃんと呼ばれる年頃になると、女性たちは首から手拭いを提げ、腰巻きひとつで玄関先に腰を下ろして涼を取っていた。手拭いによって、うまく乳首を隠していたのだ。
 信じられないだろうけど、少なくとも私の育った東京下町では、そういう姿がまだ見られたし、不謹慎と咎める風潮もなかった。
 クーラーなどはない時代だ。衣服での調整は必須だったに違いない(ちなみに男性はステテコ一枚)。
 そんな時代に着けていた、何が透けても構わないという薄物と、下着の線を気にする現代では趣が変わってくるのは仕方ない。
 浮世絵の中には、薄物の下から二の腕がくっきり見えて、長襦袢を着ていなかったとおぼしき作品もある。
 平安時代、貴族の女性は夏の部屋着として、ひとえばかまの上に肌離れのよい生絹すずしを着けた。生絹には紗のような透け感があり、風俗を再現した写真では上半身は丸見えだ。
 まあ、透ける物を身に着けたなら、肌が見えるのは当然だ。透けるのが嫌だというほうが、本来はおかしいに違いない。
 もっとも胸乳むなちあらわにして、というのは飽くまでプライベート空間での話であって、外出時の話ではない。
 いくらおおらかなお婆ちゃんでも、電車に乗ってデパートでお買い物というときは、腰巻きに手拭いでは出なかった。
 お出掛けのとき、お洒落な人は襦袢の色柄を工夫した。
 襦袢もまた、夏物は麻や絽や紗で誂える。薄物の透け具合を考慮して、そこに色を重ねたり、秋草や水の柄を配する。
 夏の薄物は襦袢によって小紋や付下げ、紗袷のごとき風情となるのだ。
 下着を見せるコーディネートは、洋服だけのものではない。
 過去に見て感心したのは、海を描いたその波頭に銀の粒を散らした絽の襦袢だ。
 それに薄物を重ねれば、下からちらちら光が漏れる。奥ゆかしいその輝きは、夏ならでは涼味を誘う。
 薄物には美しく、そして危うい色気がある。
 その美しさをたんのうするには、まず涼しげに見せること。これが大事だとされる。
 ファッションは自分の身を飾るものだから、人がとやかく言うものではない。それは正論ではあるが、見る側にとって行き交う人は風景の一部だ。
 炎天下に澄んだ水の流れを見れば、それだけでホッとするように、薄物を涼しげに着た人と擦れ違うのは嬉しいものだ。
 夏の中で、夏ならではの涼しさを味わう――会う人の目が涼しくなるほどに着こなせたなら、本人もきっと満足だろう。
 まあ、どこまで準じられるかはこだわりや体質次第だが、あいにく、汗っかきの私にはハードルが高いのは間違いない。
 薄物を清水に喩えたが、目が涼しいという意味で、両者は確かに似たところがある。
 近代の油彩で、また薄物ではないけれど、黒田清輝の『湖畔』などは涼味を感じる逸品だ。
 浴衣ゆかた姿の女性が団扇うちわを手にして、湖の畔に腰掛けている。
 青灰色の縞の浴衣、静かな面立ち、前髪をすっきり上げて結った黒髪すべてに涼しさが漂っている。
 ちなみにモデルとなった佳人は黒田清輝の伴侶、舞台は芦ノ湖であるという。こんな女性と水辺にいたら、そりゃ描きたくもなるだろう。

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加門七海

かもん・ななみ●東京都生まれ。多摩美術大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなどさまざまな分野で活躍している。ひとり百物語を特技とするほど、豊富な心霊体験を持つ。また、オカルト・ルポルタージュでも注目を集めている。著書にエッセイ『うわさの神仏』『うわさの人物』『猫怪々』『お祓い日和 その作法と実践』『鍛える聖地』『大江戸魔方陣』『もののけ物語』『たてもの怪談』、小説に『祝山』『目嚢』など多数。

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