よみタイ

加門七海「着物憑き」
あの世とこの世のあわい。
幼いころからそれを感じ取る加門氏は、
ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。
それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに
「取り憑かれた」かのように……。
着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。

古着(一)

 古物にまつわる怪談は、古今東西数多くある。
 前回、私はそう記した。
 なぜ、物が怪異を引き起こすのか。
 古い物品に魂が宿るとの考えは、付喪神という言葉になって昔からささやかれてきた。時代を経た物でなくとも、粗末に扱われた品が障りをなすという話もある。
 これらは器物そのものが、意思を持つという解釈だ。
 一方、持ち主の愛着や執着がこびりつき、新たな所有者に何らかのアクションを起こす例もある。
 前者の付喪神系で、物自体が意思を持つのはお杓文字しゃくもじだったり、雑巾だったり、あるいは「ちんちんこばかま」となる爪楊枝やら、生活雑貨、消耗品の話も多い。
 持ち主の念がこびりつくのは、高価な装飾品や衣服、着物だ。
 中でも歴史的に有名な事件は、明暦の大火――俗に振袖火事と呼ばれる話だろう。
 この大火は明暦三年(一六五七)の一月十八、十九日両日にわたり、江戸城外濠内のほぼすべてを焼き尽くした大火災だ。それを振袖火事と呼ぶ由来は、ある怪談に基づいている。
 振袖火事という言葉は知れど、詳細を知らない人もいるだろうから、お節介ながら概要を述べたい。
 数え十六になる娘・梅乃は、本妙寺への墓参の帰り、ふと擦れ違った寺男らしき美少年に一目惚れをする。だが、どこの誰とも知れぬまま、恋い焦がれて日を過ごすうち、遂に病の床に伏し、彼女はそのまま亡くなってしまった。
 葬儀の日、両親はひつぎに形見の振袖を掛けた。
 当時、こういう遺品は寺男たちの所有となるのが決まりだった。そのため、振袖は転売されて、同じく十六歳の娘のものになった。
 ところが、この娘も病で亡くなり、振袖は棺に掛けられて、ちょうど梅乃の命日に再び本妙寺に持ち込まれた。
 寺男はまた、それを転売した。が、またも十六歳の娘の手に渡り、彼女もほどなく死んでしまった。
 振袖は三たび棺に掛けられて、梅乃の命日に本妙寺に持ち込まれた。
 三人の娘の遺族らは、さすがにただならぬ因縁を感じて、振袖は供養されたのち、火にくべられることに決まった。
 しかし、着物が炎の中に投げ込まれたその瞬間、にわかに強い風が吹いた。そして、裾に火をつけたまま、振袖は人が立ちあがったごとき姿で舞い上がり、本妙寺の軒先に火を移した……。
 明暦の大火は、震災と空襲を除けば、日本史上最大の規模と被害を出した火災だ。
 火は旧暦一月十八日の午後二時半すぎ、当時、本郷丸山(東京都文京区本郷五丁目)にあった本妙寺から出火した。
 この日は風が強く、また、前年十一月から雨が降っていなかったため、あっという間に本郷から浅草、隅田川を越え、牛島神社辺りまで火は広がった。
 隅田川河口近くの霊巌寺では、一万人近くの避難民が死亡。浅草橋では脱獄の誤報が流れて、役人が門を閉ざしたせいで、逃げ場を失った二万人以上が犠牲となる。
 また、当時は軍事防衛上、隅田川には千住大橋しか架かっていなかったため、多くの人が対岸に逃れることができずに亡くなった。
 翌日の朝方には鎮火したものの、午前十時頃、今度は小石川にあった伝通院近くより出火。飯田橋から九段一帯に延焼した。
 この昼過ぎには、今でいう火災旋風らしきつむじ風が起き、江戸城天守閣の窓が開いた。火炎を伴った熱風は城の内側に入り込み、天守閣は燃え、次いで、本丸・二の丸も焼失した。
 更に同日夜には、麹町からも出火して、京橋、新橋、芝までが焼き尽くされる。
 俄には、信じがたい災害だ。
 三度続いた火災によって、江戸市街の六割以上が焦土と化し、少ない資料で三万人、多い資料では十万八千人もの人が亡くなったとされている。
 空恐ろしい話だが、この未曽有の大災害を機に、江戸では徹底的な都市改造が行われた。
 道路の拡張、隅田川への架橋、火除地である広小路や火除土手の新設、武家屋敷・寺社・町屋の移転とそれに伴う地域開発、家屋の建築制限、定火消の設置などなど。
 今に残る江戸の面影や我々が思い描く江戸時代のイメージも、振袖火事以降のものだ。
 梅乃の妄念の凄まじきこと……。
 もっとも、この伝説は眉唾だという人もいる。
 なぜならば、不思議なことに、出火元となった本妙寺におとがめが一切なかったからだ。そればかりか、三年後に幕府は客殿・庫裡くり、六年後には本堂を再建し、十年後には触頭ふれがしらという重職に本妙寺を任じている。
 異例ともいうべきこの厚遇から、火元は隣接していた老中阿部家であり、本妙寺は幕府の要請により汚名をかぶったという説がある。
 実際、本妙寺の記録によると、関東大震災までの二百六十年余、阿部家から毎年、明暦の大火の供養料が奉納されていたという。
 まあ、現実的な考証はくとして、世間がこの伝説を途切れることなく伝えてきたのは、それなりの理由があったからに相違ない。
 ひとつは、若い娘の叶わぬ恋という情話への共感。
 もうひとつは、この伝説が、古物の怪談として出色の出来であるためだ。
 振袖に込められていたのは、寺男への恋情か。
 物語風に考えるなら、梅乃はきっと、その美しい振袖を着て、恋する男に会いに行きたかったに違いない。それが叶わぬまま亡くなって、振袖は見知らぬ娘のものになった。
 自分は思いを遂げることなくはかなくなったにもかかわらず、見ず知らずの娘が美しく着飾って恋をして、あるいは誰かに見初められ、嫁ぐなんて許せない……。彼女はそう思ったのか。
 いや、もしかしたら振袖を転売した寺男こそ、梅乃が愛した美少年だったのかもしれない。ならば、無念は殊更だ。
 もし、寺男の手に振袖が留まっていたならば、そうして彼が梅乃を思い、たもとに顔を埋めてむせび泣いていたならば、のちの少女たちの命はもとより、江戸を焼き尽くした大火事は、起こらなかったのではないかと想像する。
 当病平癒の加持祈禱などでは、対象者の衣服や下着など、身につけたものを形代にする。
 それが愛着の品ならば、余計に人の魂は写りやすいに違いない。
 前回記した振袖の話は、私の執着より着物のプライドが勝ったため、怖い話にならずに済んだ。
 だが、もし私が振袖を売り払った人物や、新たな持ち主に怨みに近い念を抱いていたなら、結論は変わっていたかもしれない。
 実際に私自身、不思議な着物に出合ったことが数度ある。(つづく)

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加門七海

かもん・ななみ●東京都生まれ。多摩美術大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなどさまざまな分野で活躍している。ひとり百物語を特技とするほど、豊富な心霊体験を持つ。また、オカルト・ルポルタージュでも注目を集めている。著書にエッセイ『うわさの神仏』『うわさの人物』『猫怪々』『お祓い日和 その作法と実践』『鍛える聖地』『大江戸魔方陣』『もののけ物語』『たてもの怪談』、小説に『祝山』『目嚢』など多数。

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