よみタイ

加門七海「着物憑き」
あの世とこの世のあわい。
幼いころからそれを感じ取る加門氏は、
ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。
それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに
「取り憑かれた」かのように……。
着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。

衣擦れ(二)

 本も読んだ。
 着物という文字さえ記してあれば、小説だろうが雑誌だろうが、手当たり次第という状態だ。
 場合によっては、ルーペを取り出して写真を眺め、素敵な着物姿があれば、何で素敵に思えるのか、首を傾げて考える。
 実は当時、リサイクル品を買ったりしたものの、自分が何をどう着たいのか、まだわかっていなかったのだ。
 着物なら、なんでも素敵に見えた。
 しかし、それでも一周回って時期を置き、最初に買った着物の本を広げてみれば、少しだけ着物の良し悪しや物がわかるようになっていた。
 母の着物に関しても、昔はわからなかったことも見えてきた。
 どこで金を工面したのか、見当がつかないような高い着物もあれば、リーズナブルな帯をその高価な着物に合わせていたことも知った。
 値段ではなく、合うものや着たいものをシンプルに考えていたのだろう。
 これは難しいことだ。
 高い着物を着れば、帯もまた格を合わせようと思いがちだし、出自もわからない気軽な紬に、作家ものの帯を持ってくるのも大変だ。
 よほどセンスに自信がなければ、できないことに違いない。だけど、翻って言うならば自分の芯さえ通っていれば、何をどう合わせても構わないということだ。
 つまりは自分が満足できて、あわよくば他人から素敵と言われる装いを目指す……言うは易く行うは難しではあるが、思うだけなら構うまい。
 ともかく、着物着物着物着物、着物!
 気がつくと私は寝ても覚めても、着物のことしか考えられなくなっていた。
 水を得た魚どころではない。
 私はこんなにも着物が好きだったのか。溺れても藁を掴まず、絹の糸を掴む勢いだ。
 いや、着物自体にもう溺れている。
 おかしい。
 いや、本当におかしい。
 気づいたのは、いつであったか。それでも私の目も耳も、着物から離れることはなかった。
 殊に、音は心に掛かった。
 衣擦きぬずれ、絹鳴りの音だ。
 畳に着物を広げたときの葉擦れに近い幽かな音。帯を締めたときに出る清涼で微妙な高い音。
 着物がそこにあるからこそ聞くことのできるこれらの音は、私を格別にうっとりさせた。
 ときには夢現ゆめうつつでも、衣擦れの音が聞こえる気がして、さすがに精神を病んだのではと思い始めたある晩のこと……。
 私はいつもどおり寝床に入った。
 寝返りを打つと、衣擦れが聞こえる。無論、布団の擦れる音だ。私はそこから、うとうとと昼間広げた母の着物を思い出していた。
(あれはいい大島だ)
(衣擦れも、絹鳴りの音もよかった……)
 そのうち意識は薄れていって、私は眠りに入っていった。
 再びの衣擦れの音で目が覚めた。
 かそけき心地好い音は、夢現の私の微笑を誘った。
 まったく病膏肓やまいこうこうに入るとはこのことだ。
 しかし、なんとい音か。
 私は目を開けた。
 音が布団の外、枕元から聞こえてくると知ったからだ。
 そっと視線を向けてみる。
 女性がひとり立っていた。
 私は怖いより先に、その着物の美しさに目を瞠った。
 たっぷりとふき綿わたを含んだ裾引きが、床に緩く弧を描いている。
 引き回した着物の裾には、見事な鏡裏の意匠がいくつか施されていた。
 大きな鏡は花喰い鳥を描いた八華鏡はっけきょう。小さな鏡は蜀江紋しょっこうもんか。
 夜目にも映える墨黒の地に、文様は染められ、金糸銀糸の刺繍で飾られ、絶妙に配置されている。派手ではない。言葉を探すならば、典雅か。
 ふきを飾る裾回しは砂色。そこから覗く緋の縮緬ちりめん、あるいは紅絹もみの鮮やかさ。
 帯は緞子どんすの丸帯か。朽葉色の地に、浮かぶ如く沈む如くに細かい、錆びた金色の文様が織り出されている。
 なんて、美しい。
 私は一瞬にしてそこまでの詳細を見て取った。
 女性は見せつけるごとく、挑むごとく、ひと足進んで裾を返す。
(ああ、やはり白足袋だ)
 夜に溶けた姿を追って、幽かな衣擦れが耳に残った。
 私はこの音をずっと聞いていたのではなかったか……?
 布団から半身を出し、私は肘で体を支えた。
 正直、裾だけに気を取られていて、胸から上は見ていなかった。ゆえにその女性が如何なる顔つきや髪型をしていたかはおぼえていない。
 美しい人なのは間違いなかろう。
 あれだけの着物をじることなく、当たり前に着けたその影からは、何か小気味好いほどの潔い自信が漂っていた。
(本物だな)
 私は思った。
 具体的な言葉は思いつかないが「着物を着る」とは、ああいうことなのだ。
 着こなすとも少し違う。似合うともやはり微妙に異なる。
 ――「着物に着られてはならない」
 誰から聞いた言葉だったか。
 どんなに素敵でも、その着物を従えられないなら、むしろみっともないという意味であったように思う。
 その意味で、彼女は完璧だった。
 鮎の帯留めのときと同じく、着物熱に浮かされた私に呼び込まれたのか。はたまた、彼女が憑いていたから、あれほど着物を思っていたのか。
 本当に着物が好きならば、私のように従えなさい、と?
「まったく、難しいことを」
 私はぼやいた。
 あんなモノがそばにいたんじゃ、私のこだわりも強くなる。
 いや、違う。
 そこまで自惚れてはいけない。彼女は「姿勢」を示しに来たのだ。平たく言えば、「酒は呑んでも呑まれるな」。
 お酒にも着物にも中毒性がある。どんなに好きでも、お酒は綺麗な呑み方をすべしと言われるのと同様、着物もまた身の丈に合った好きであれ、ということか。
 まあ、そう結論を出してしまうと、少し悲しい気もしてくるが。
 いずれにせよ、その姿を拝んで以来、狂ったようになっていた私の執着は落ち着いた。
 もっとも、身の丈に合うものを着るなどという、殊勝な気持ちはあまり持てなかったけど……。
 のちに調べたところによると、渋い色みの丸帯は明治時代に流行ったという。ならば、かの人は百年以上昔の女性であったのか。
 夢現にその立ち姿を拝めただけでも私にとっては僥倖だった。

 衣擦れの音はまだ、ときどき聞こえる。
 そのたびに、私はかの人を思って心嬉しく、我が身の着物に対しては少しばかりの不安を覚えるのだった。

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加門七海

かもん・ななみ●東京都生まれ。多摩美術大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなどさまざまな分野で活躍している。ひとり百物語を特技とするほど、豊富な心霊体験を持つ。また、オカルト・ルポルタージュでも注目を集めている。著書にエッセイ『うわさの神仏』『うわさの人物』『猫怪々』『お祓い日和 その作法と実践』『鍛える聖地』『大江戸魔方陣』『もののけ物語』『たてもの怪談』、小説に『祝山』『目嚢』など多数。

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