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加門七海「着物憑き」
あの世とこの世のあわい。
幼いころからそれを感じ取る加門氏は、
ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。
それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに
「取り憑かれた」かのように……。
着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。

糸(二)

 結城紬は高級品だ。
 殊にりを掛けない手紡ぎ糸を使用して、体でたていとを張って織り進む、地機織りは高価なものだ。
 手間が掛かるからこその値段だが、高額となった理由のひとつには、重要無形文化財に指定されていることも挙げられる。
 俗に人間国宝とされる個人を除き、重要無形文化財とされる染織には以下がある。
 ちぢみ、越後上布、結城紬、がすりじょしょう、宮古上布、伊勢型紙、久米島紬。
 指定年代順に並べたが、すべて昔ながらの手作業に依った高い技術を保持している。
 ただ、繰り返しとなるけれど、文化財指定をされたため、値が上がっていることも否めない。
 実際、二〇〇四年に指定を受けた久米島紬は、それ以前のものに比べると、金額が跳ね上がっている。結城紬の指定は一九五六年。以来、安定の高級品だ。
 噂で聞いただけの話だが、人間国宝と呼ばれる個人には、年に何反というノルマがあって、値付けにも規定があるのだという。それを嫌って、指定を受けない職人も存在しているのだとか。
 つまり、国のお墨付きが価格に反映するわけだ。そのため、同じ結城でも、リサイクル市場では証紙の有無が値段に大きく影響する。
 私が手にした結城紬は、指定を受ける以前のものだ。ゆえに金額としての価値はわからない。高級品だったのは確かだろうが、今の尺度では測れまい。
 唯一の尺度は年月だ。
 百年の時を経た結城紬は、格別の味を持っていた。
 その着物に手を触れた途端、私は驚きの声を放った。
 柔らかく、軽く、経験したことのない手触りだ。手で握って皺を作っても見ているうちに消えていく。
 内に空気を含むのか、紬はふんわりとして身に沿うようで沿わないようで、いつまでも撫でていたくなる。そうして生地に手を当てていると、掌はすぐに温もってくる。
(これが、時間をかけて人の肌で作られた結城紬の凄みなのか)
 たかだか二年、寝巻きにした結城では、正直、まったく太刀打ちできない。
「今とは糸が違うんですよ」
 アンティークショップの店主が言った。
 やはり糸か。
 私は天を仰いだ。
 これでは何年寝巻きにしようと起き巻きにしようと、現代物は勝ち目がないではないか。
 いや、我が家の結城も悪いものではない。しかし、即席ではどうにもならない。
 仕立てたばかりと二年を経たもの、そして百年の結城では、同じ種類の紬とは思えないほどの差がついている。
(うちの結城は寝巻きに戻しちゃおうかなあ)
 無論、そこまでの度胸はないが……。
「着てみませんか」
 店主が言った。
 促されるまま羽織ってみれば、一層、軽さが際立った。いや、着物をつけたほうが体が軽く感じるほどだ。着心地は、まさに恍惚。身につけているほどに、言葉にし難い愛おしさが湧く。
 溜息と共に、私は言った。
「素晴らしい着心地ですね」
「日本の人は着心地を重視してきましたから」
 店主は頷いた。
 聞けば、外国人は生地の質感をあまり気にしないのだとか。ゆえに、絵柄やデザインを第一とする。けれど、日本人は肌触りだ。そのために、着物や帯に触れたがり、着心地が判断材料となる。
 多分、外国の人にとっての着物は工芸品のひとつであり、自分が着ることとは結びつけていないのだろう。日本人は身につけるために選ぶのだから、着心地や布の良し悪しを気にするのは当然だ。
 が、もしかすると、言うとおり、日本人は着心地にうるさいのかもしれない。
 殊に、楽に着ることに関しては熱心だったのではないか。
 欧米の女性がきついコルセットから解放されたのは、二十世紀に入ってからだ。締めつけない服ができ、やがてユニセックスになり、女性の肉体は束縛から逃れた。
 一方、浮世絵を見ればわかるように、日本の着物はぐずぐずで、はだけようが何だろうが構わないことも多かった。しかし、戦後以降、洋服とは裏腹に、正しい着付けだの補正だのと言う輩が出てきて、着物はどんどん窮屈になり、実際、苦しいものになってしまった。それゆえに日常から遠のいて、私たちは普段着に洋服を選んだ。
 現在の着物は、体を縛りつける悪しき布になってしまったわけだ。
 だが、本当を言えば、スーツやフォーマルドレスは着物に比べればきつい。着付けのコツさえ掴んでしまえば、同じフォーマルでも着物の方が断然楽だ。それにこの着心地が加われば、最強と言っていいだろう。
 アンティーク着物万歳、だ。
 しかし、自分が主役ではないフォーマルな場や祝いの席に出るときは、アンティークのような「お古」ではなく、現代物のほうが無難かもしれない。
 第一、今の人が今のものを購入しなくては、すべての技術は先細りになる。
 のんびり構えている場合ではない。
 実際、着物は絶滅の危機に瀕している。
 機を織るとき、ぬきいとを通すのに使われる木のは現在、作り手がひとりしかいない。既にご高齢なので、このままいけば遠からず木製の杼は消えていく。糸を滑らせるための部品や回転器具である駒も、在庫限りという状況だ。
 友禅染に相応しい刷毛も、既に入手困難だ。そして最近では、和裁に欠かせない「コテ」を製造していた、唯一のメーカーが廃業した。
 日本の伝統文化は全般的にもうボロボロだけど、比較的求める人が多い着物ですら、最早、青息吐息なのだ。
 伝統産業としての着物は、あと三年保たないと断言する人もいる。
 無論、過去の技術や国産のものが最高というわけではないだろう。
 杼は金属でもいいかもしれないし、刷毛も代用が利くかもしれない。道具や職人すべてを海外に頼っても、良いものはきっとできる。だが、今ですら、昔とは糸が違うとされるのだ。そうなったら多分、着物はかつての「着物」とは異なったものになるに違いない。
 櫛の歯が欠けていくように、染織を支える周囲から人や物が失せていく原因は、結局、そこまで金が回らない……昔ながらの技法に則った着物が売れないということに尽きる。
 売れないから高い。高いから売れない。それを繰り返していけば、値段だけがどんどん上がって、着物自体は廃れていく。今、少しだけ活況を呈しているリサイクル着物の業界だって、元の着物がなくなれば消えていくのは必定だ。
 それを阻止したいなら、買い支える以外にない。
 微力ながら、私も心していく。そして手にした着物は新旧を問わず、疎かにせず、死ぬ前に誰かに託すつもりだ。
 アンティークに憑かれたひとりとして、私の感じた恍惚感をも託したい。
 そうでなければ百年後、昔のわざに感激し、時に熟れた絹に呻いて、「アンティーク着物万歳」と言う人もなくなってしまうから。

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加門七海

かもん・ななみ●東京都生まれ。多摩美術大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなどさまざまな分野で活躍している。ひとり百物語を特技とするほど、豊富な心霊体験を持つ。また、オカルト・ルポルタージュでも注目を集めている。著書にエッセイ『うわさの神仏』『うわさの人物』『猫怪々』『お祓い日和 その作法と実践』『鍛える聖地』『大江戸魔方陣』『もののけ物語』『たてもの怪談』、小説に『祝山』『目嚢』など多数。

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