よみタイ

群ようこ「いかがなものか」
ふだん何となく思っていながらも保留にしがち、あるいは言い切れないこと。
世間で起こる事件、流行、事柄、町で見かけたことなどについて、
違和感と疑問をスパッと投げかける。
群ようこ流、一刀両断エッセイ。

第11回 スマホ中高年

 寒い日が続いていたのが嘘のように気温が上がった穏やかな週末、これは散歩を兼ねてのんびり外に出るしかないと、午前中に隣町まで買い出しに行った。うちの近所にもスーパーマーケットはあるのだが、品揃えがいまひとつなので、月に何回かはスーパーマーケットが複数ある、隣町に行くのが習慣になっている。
 気温が高かったせいか、ふだんにも増して歩いている人が多い。イヌの散歩をしている人もたくさん見かけた。ふだんよりもちょっと遠回りをして、家の前でごろごろと寝転がっている首輪をつけた飼いネコをかまったり、住宅地のなかの小さな公園を端から端まで歩いたりした。そしてまだ混雑していない、駅に近いスーパーマーケットで無事、買い物を済ませて歩いていると、そこここに単独行動の中高年の男性や女性が立っていた。彼らはてんでんばらばらの方角を向きながらも、同じ体勢で立ち尽くしている。
(これはいったい、何?)
 ぎょっとしていると、彼らはみなスマホを手にして、画面をじっと見つめていたのだった。
 私はスマホが世の中に普及しはじめてから、電車の七人掛けの座席に座っている人々を見て、「スマホ、携帯ゲーム派」対「本、新聞、雑誌派」に分けて勝敗をつけていた。調査をはじめた当初は、中高年の男性が新聞、スポーツ紙、週刊誌を読んでいたり、女性は文庫本を読んでいたりと、比率は半々だったのだが、そのうち「スマホ、携帯ゲーム派」が隆盛になって「本、新聞、雑誌派」はどんどん劣勢を極め、中高年の多くがスマホを持つようになってからは惨憺さんたんたる有様になっている。
 先日も極私的に電車内で調査したところ、平日の日中十二時半、向かい合った全十四席の座席で本、雑誌等を読んでいる人はゼロ、寝ている人が一人、あとは全員、スマホの画面を見ていた。他の日も本派は全敗だった。それくらい中年はもちろん、高齢者もスマホを持つのが当たり前になってきたのだろう。
 しかし昨年、通信障害が発生し、携帯、スマホが使えなくなるという事態になった。ニュースで渋谷の様子を映していたが、若い女性が、友だちと会えないとあせりながら、小走りになってあたふたしていた。彼女を取材していた人が、
「あそこに公衆電話があるので、電話をしたらどうですか? ずいぶん人が並んでいますけど」
 と教えてあげたら、彼女がいうには、会う相手はツイッター上で知り合った人なので、ハンドルネームは知っているが顔はわからず、その人の住所も電話番号も、本名も知らないのだといっていた。これでは頼みの綱のインターネットがつながらないと、渋谷のように人出の多いところで会うのは絶対に不可能だろう。
 そして公衆電話を使ったことがないという若者もいた。そうか、そういう世代もいるのだなあとびっくりしていると、彼らは小銭を持つのが鬱陶しくて、キャッシュレスにしているので、公衆電話を使おうにも小銭を持っていないのだそうだ。この話を知人にしたら、昭和の家庭ならどこにでもあった、黒い固定電話機を見て、それが何かわからなかった若者が多いという話を教えてくれた。隔世の感があるねえと知人とうなずき合い、
「便利なものは、何かがあるととてつもなく不便になるからなあ」
 と私はつぶやいた。
 高齢者もスマホを持つようになると、家族も安心できるのかもしれないが、道路のそこここに、同じようなダウンのコートを着た中高年たちが、同じ角度で手にしたスマホを見つめている姿は、異様にも思えた。
「ここに一人、反対側に一人、向こうにも一人……」
 と数えていたら、私の視界の範囲には十人いた。彼らは一部の不真面目な若い人とは違い、歩きスマホはいけないとわかっているので、マナーを守ってきちんと立ち止まって、画面を凝視している。
 なかには、それぞれが手にしたスマホを凝視している白髪の夫婦らしき二人もいた。彼らは自分が探したいものを検索しているだけで、何の罪もない。しかし様々な方角を向いたそういった人々が周辺に十人もいると、それを全体像として眺めている私には、彼らが手にしたスマホをじっと見つめながら、路上に立っている姿は、自分が信じている神様から、ご託宣を待っている人のように宗教っぽく見えて、ちょっと薄気味悪かった。

 そんななかでスーツ姿にコートを羽織った一人の高齢男性が、地図のコピーを手に右往左往していた。配送業者のお兄さんを掴まえて、
「すみません、ここに行きたいんだけど、わかんないんだよね」
 と紙を見せていた。しかしその地図に不備があったようで、配達のプロにもわからないといわれ、彼は周囲をきょろきょろ見回しながら、
「そうか、こまったなあ」
 と顔をしかめていた。彼がスマホを使えたら、すぐに行きたい場所に行けたかもしれないが、昔はみんなこんなものだった。彼は再び駅のほうに戻っていったが、路上でてんでの方向を向いてスマホで検索していた人々は、求める検索結果が出てこないのか、その場を立ち去る人はほとんどいなかった。ちょっと確認するくらいだったら、すぐに終わるはずなのに、どうしてそんなに時間がかかるのか不明だが、彼らは延々とスマホを凝視し続けていた。
 駅の近くなので、これから昼食を食べに行く店でも探しているのだろうか。それにしてもずいぶん同じことをしている人が多いなあとあれこれ考えながら帰り道を歩いていたら、その道ばたのスマホ検索中高年が、駅から離れた住宅地にまで出没していた。いったい何人くらいいるのだろうかと、これまでに見た人数を思い出しつつ、同じような体勢でスマホを手にして立っていた人は、家に帰るまでの二十分足らずで五十人になっていた。沿線の駅に比べて、私が買い物をした場所は、たしかに様々な店舗が多いけれど、こんなにいるとは思わなかった。中高年はもちろん、特に高齢者にもスマホって普及しているんだとあらためて感じた。ターミナル駅付近には、同じような人がどれだけの数いるのだろうと恐ろしくもなった。
 就職試験の時期になり、会社からどっと試験が終わった男女の学生が出てくると、みんな判で押したような、黒のスーツに白いシャツ、そしてスマホを耳に当てている姿に出くわす。クローン人間が大量に出てきたみたいで、気持ちが悪くなったが、それと同じような感覚だった。彼ら個人はまったく問題ないのだが、それがある一定数を超えると、対象がどんな集団であれ、私はぎょっとして恐ろしくなってしまうのだ。
 繰り返すが、道ばたに邪魔にならないように立ち、スマホを凝視していた方々は何も悪いことをしていないし、自分の必要な操作をしていただけである。だけどスマホを持っていない私は、
「それって事前に家でできないことなのですか?」
 と彼らに聞きたくなる。私は外で検索するすべを持っていないので、外出する場合は家でパソコンで検索をして、それを頭にたたき込むか、ちょっと覚えきれないかもと不安になったら、紙にメモして家を出る。出先であせるのが嫌いなので、事前に準備をしておくようにしている。それでも目的の場所にスムーズに行けない場合があるので、困ったものなのだが。
 路上のスマホ中高年や、通信障害で会う約束の人と連絡が取れなくなった女性を見ていると、今は行き当たりばったりの人が多いのかなと感じた。ハンドルネームを使って、お互いに見知らぬ人と会うのは、若い人にとっては普通なのかもしれないが、もうちょっと事前にお互いの情報を伝えていれば、こんなときに会える可能性がずっと高くなるのに、それはしないのだ。何でも教えてくれて、何でもわかっているスマホを持っていれば、その場で何とかしてくれると考えている。
 だいたい日常生活で、ずっと路上でスマホを検索し続ける必要がある事柄なんてあるのだろうか。食事をする場所や買い物をする店舗を探すのなら、家でちょっと調べていけばいいのにといいたくなるが、路上の中高年はそうではないらしい。彼らもスマホがあるんだから、近くまで歩いていって、そこで調べればいいと考えているのだろうか。行き当たりばったり特有の楽しさもあるけれど、私はあの小さな四角にすべてをゆだねている人たちが恐ろしい。いつもいつも行き当たりばったりで大丈夫なのだろうかと、私は危惧しているのである。

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社、84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』を刊行。同年に同社を退職し、専業作家となる。小説に『無印OL物語』などの<無印>シリーズ、『かもめ食堂』『婚約迷走中 パンとスープとネコ日和』『咳をしても一人と一匹』『散歩するネコ れんげ荘物語』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『よれよれ肉体百科』『かるい生活』『まあまあの日々』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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