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すべてが村上春樹に還る――新刊『街とその不確かな壁』を手がかりに、ヒット作が共有する「時代の空気」を考える

村上春樹と新海誠の表現上の類似

 両者の共通点は、テーマや話型のレベルにとどまらず、具体的な描写のうちにも見ることができる。ここでは『街とその不確かな壁』の記述と、『秒速5センチメートル』のモノローグをいくつかピックアップしておく。村上的な世界観にどっぷりとハマった経験を持つ新海の作品のなかに、その後の村上作品を予告するような描写があるという関係性は興味深い。そのようなマニアックな楽しみ方をする人間は圧倒的に少数派だろうが、とはいえ、そうした楽しみ方が成立するからこそ、ライト層からマニア層まで幅広い層のファンを持つことが可能になっている。

座席にゆったり腰掛け、「永続的な」という言葉について考えを巡らせる。しかし高校三年生になったばかりの十七歳の少年にとって、永続的なものごとについて考えを巡らせるのは簡単なことではない。(中略)
そこからぼくらがどこに向かおうとしているのか、どこに向かえばいいのか、そのイメージが浮かんでこない。なぜならぼくらはその浜辺で(中略)もう既に完結してしまっているからだ。既に完結してしまったものが、そこから腰を上げてどこに向かえるだろう?
(村上春樹『街とその不確かな壁』新潮社、2023年、66-7頁)

その瞬間、永遠とか心とか魂とかいうものがどこにあるのか、分かった気がした。13年間生きてきたことのすべてを分かち合えたように僕は思い、それから次の瞬間、たまらなく悲しくなった。明里のその温もりを、その魂をどのように扱えばいいのか、どこに持っていけばいいのか、それが僕には分からなかったからだ。僕たちはこの先もずっと一緒にいることはできないと、はっきりと分かった。
(新海誠『秒速5センチメートル』コミックス・ウェーブ・フィルム、2007年)

  

約束の時間がやってきたとき、思ったの。あなたに公園で待ちぼうけさせておくわけにはいかないと。それで力を振り絞って立ち上がり、ブラウスのボタンをなんとかはめて、走ってここまでたどり着いたの。もうあなたはいなくなっているかもしれないと思いながら……
(村上 前掲書、90頁)

約束の時間を過ぎて、今ごろ明里はきっと不安になり始めていると思う。(中略)
僕はきつく歯を食いしばり、ただとにかく泣かないように耐えているしかなかった。明里、どうか、もう家に帰っていてくれればいいのに。
(新海 前掲作)

  

時間はひどくのろのろと、それでも決して後戻りすることなくぼくの中を通過していった。
(村上 前掲書、115頁)

たった1分がものすごく長く感じられ、時間ははっきりとした悪意を持って僕の上をゆっくりと流れていった。
(新海 前掲作)

  

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ぼくはもちろんその手紙を何度も繰り返し読み返す。隅々までそっくり暗記してしまうくらい何度も。
(村上 前掲書、140頁)

明里からの最初の手紙が届いたのは、それから半年後、中一の夏だった。彼女からの文面は、すべて覚えた。
(新海 前掲作)

  

でも結局のところ、彼女たちとの間に本当の意味での信頼関係を築き上げることはできなかった。
(村上 前掲書、162頁)

「あなたのことは今でも好きです」。3年間付き合った女性はそうメールに書いていた。「でも私たちはきっと1000回もメールをやりとりして、たぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした」
(新海 前掲作)

  

そしてある朝、私は上司に辞職願を出す。
(村上 前掲書、189頁)

そしてある朝、かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いが綺麗に失われていることに僕は気づき、もう限界だと知ったとき、会社を辞めた。
(新海 前掲作)

 新海誠作品からの引用は『秒速5センチメートル』のごく一部に限ったが、ほかの作品と似ている表現も多く見られる。当然ながら、村上が新海のアニメーションを見て、それを密かに真似しているということが言いたいわけではまったくない。新海が村上の世界観を自家薬籠中のものとしている(深いレベルで内面化している)からこそ、村上の新刊が新海作品に似るのだろう。

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伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

Twitter @hitoh21

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