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すべてが村上春樹に還る――新刊『街とその不確かな壁』を手がかりに、ヒット作が共有する「時代の空気」を考える

鏡像関係、あるいは一人二役

 村上春樹の作品には、何らかの意味でよく似た人物がしばしば登場する。『1973年のピンボール』(1980年)に登場する双子の姉妹は典型例である(短編「双子と沈んだ大陸」[1985年]には、その後の双子らしき人物が登場する)。『ねじまき鳥クロニクル』(1994-5年)には加納マルタ、加納クレタという漫才コンビのような名前の姉妹が出てくる。『街とその不確かな壁』には「森(しん)」と「林(りん)」という対になる名前がひときわ大きなフォントで記されているページがある(322頁)。

 あるいは、役割の上で似ている人物というパターンもあるし、設定の上で鏡像関係にあるケースも出てくる。『街とその不確かな壁』という作品自体、1980年に『文學界』に掲載された中編小説「街と、その不確かな壁」というほぼ同名の前身が存在している。新海誠風に言うなら「カタワレ」ということになるだろうか。「街と、その不確かな壁」は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)へと発展したが(この長編も作品内部に二つの世界を抱えている)、それに飽き足らなかった村上は、「もうひとつの対応」という形で今回の『街とその不確かな壁』を書き上げた。

 『街とその不確かな壁』では、現実世界と、空想上の街の二つの世界の出来事が描かれている。主人公と彼が恋に落ちた少女は、本体と影という形でそれぞれの世界に引き裂かれて生きることになる。しかし、現実と空想(仮想世界)、本体(本物)と影といった区別はそれほど確固としたものではない。ときにその境界は曖昧に溶け合う。また、ときに主客が入れ替わるような感覚に見舞われつつ、主人公は二つの世界を往還し、影と離れたり一体化したりする。

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 ここで強調しておきたいのは、村上の作品には文学上の「一人二役」と言えるような関係が繰り返しあらわれるということである。これを映像作品で表現する際には、じっさいに「一人二役」の設定を使うことができる。新海誠の作品であれば、『星を追う子ども』(2011年)のシュンとシンの兄弟がそれに該当する(二人の声はいずれも入野自由が担当している)。明日菜は最初にシュンと出会って心惹かれるが、彼はほどなく死んでしまう。その後、よく似た姿の弟のシンと出会い、ともに冒険をすることになる。

 一見すると(一聴すると)似ているからこそ、シンがシュンでないこと、二人が別々の人間であることがよりはっきりする。ひとたび失われてしまった運命の相手は、二度と取り戻すことができない。明日菜は、その喪失と向き合い、孤独を受け入れるための旅(「“さよなら”を言うための旅」)をするのである。

 この連載の初回に取り上げた岩井俊二の『Love Letter』(1995年)もまた、中山美穂の「一人二役」によってその残酷さを描いていた。岩井は近作の『ラストレター』(2020年)にも、この「一人二役」の意匠を取り入れている。

 なお、新海誠は岩井俊二としばしば対談をおこなっており、岩井作品からの影響を公言している。新海作品の「一人二役」は、村上春樹だけでなく、岩井俊二という同時代の監督にもルーツを持つことになるだろう。

 岩井俊二は連載の第2回で言及したように庵野秀明の実写映画『式日』(2000年)で原作者の藤谷文子とともに主演を務めている。二人の名前は劇中で明らかにされず、それぞれ「カントク」、「彼女」と呼ばれている。
 図らずも村上の『街とその不確かな壁』でも、主人公をはじめとする何人かの主要な登場人物の名前が伏せられたままになっている。『ラブ&ポップ』(1998年)でピー音に消された名前があったのと同様に、「M**」という形で名前の一部だけを表記される少年も出てくる。こうした表現上の類似は、直接的な影響関係がどうこうというより、創作者たちが同じ時代を生きていることの反映にほかならないだろう。

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伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

Twitter @hitoh21

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