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この子らは将来、弁護士か医者になってもらう 第10回 義母の教育へのこだわりが強すぎる理由

今は亡き実家の母、認知症が進行し要介護となった姑。
母親であること、妻であること、そして女性として生きていくということ。
『兄の終い』『全員悪人』『家族』がロングセラー、『本を読んだら散歩に行こう』も好評の村井理子さんが、実母と義母、ふたりの女性の人生を綴ります。

おふくろが元気だったら、こんなに平穏に済まなかった

 わが家の双子の息子たちが高校受験の真っ只中だった時期、夫がよく言ったのは、「おふくろが元気だったら、大変だったな。こんなに平穏には済まなかったぞ」という言葉だった。私はその夫の言葉を聞いて、震え上がった。確かに、義母が元気だったら、息子たちの高校受験はありとあらゆる意味で地獄のロードになっていただろう。
 こんなことを言ってはいけないと思いつつ、「お義母さんがドリームランドにお出かけ中でよかったよね」と、実感を込めて夫に返したのだった。それでなかったとしたら……。志望校の決定から合格発表まで、義母はすべてに関与し、自分の思うままにものごとを進めようとしていたはずだ。わが家の固定電話はきっと鳴り止まず、受験に関するすべての動きを把握しようと義母は必死に動いたはずだ。わが家は義母が勝手に集めた、高校のパンフレットで溢れかえったはずだ。合格発表には自ら赴いただろう。万が一、受験に失敗しようものなら……想像しただけで恐ろしい。
(義母の求める)志望校に合格した場合、入学式には彼女は確実に出席しただろう。なんなら中学の卒業式にも出席したはずだ。集合写真の撮影にも率先して参加しただろうし、先生方への挨拶も確実にしていただろう。もしかしたら巨大な花束などを持ち込んだ可能性もある。
 とにかく、義母は教育に大変熱心な人だった。私は今までの生涯で、義母ほど教育に対して強いこだわりを持つ人に出会ったことがない。それは夫からも頻繁に聞いているし、元気だった頃の義母の口ぶりからも、はっきりと窺えた。

 夫はそんな義母の教育熱心さもあって、高校から親元を離れ、男子校に通い、その先の大学受験に関しても、義母の影響を強く受けている。義母だけではない。義父からの高すぎる期待を背負って学生時代を送ってきたはずだ。その時期の夫のことを考えると、自然に両手のしわとしわを合わせてしまうのはなぜだろう。
 双子の息子たちが生まれ、義母が途端に言い出したのは、幼児教育のことだった。〇歳からの脳トレ的な本もたくさん買って持ってきた。日々増えてくる脳を鍛えるおもちゃや知育本に、私は圧倒された。「よくこんな面倒くさいことが出来るものだ」と感心したのだ。その頃の私には、子どもの脳を鍛えようなんて発想は一切なく、「とりあえず生かしておかねばならない」という悲壮な決意があるだけだった。それに、私自身が、両親からそこまで熱心に教育された記憶があまりないからだ。たった一度だけ、私がやりたいと言ったからという理由で、鍋でろうを溶かして色をつけたことがある。両親と私で、溶けたろうが入った鍋をじっくり観察して、木べらでかき混ぜた。そして作業は終了した。それだけだ。
 そういう状態で出来上がってしまった私なので、双子の幼少期から義父がうわごとのように繰り返してきた、「この子らは将来、弁護士か医者になってもらう」という壮大な夢物語も右から入って左から出ていった。むしろ、「この人、大丈夫か?」くらいの意識だったと思う。孫のものではなく、自分の人生を生きて欲しいとさえ感じていた。

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村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)、『本を読んだら散歩に行こう』(集英社)、『ふたご母戦記』(朝日新聞出版)など。主な訳書に『サカナ・レッスン』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』など。



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