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いつ産むの? 仕事はいつ辞めるの? 何人産むの? 第6回 最大級のトラウマは出産

出産直後の女性にとってはもしや地獄なのでは…

 出産後、二週間程度入院した私は、ようやく退院することになったが、双子はまだしばらくの間(体重が二千五百グラムあたりに増えるまで)、入院することになった。私は退院して自宅に戻ったが、今にして思えば完全に産後鬱のような状態だったと思う。一日おきに双子のいる病院まで通い、ミルクを与えたりして家に戻るような生活だったが、家に戻る電車のなかでわけもわからず泣き、サラリーマンの男性に声をかけてもらったことさえある。母に連絡を入れ、手伝いに来てくれと頼んでも、彼女はなかなか来てくれない。来て欲しくない人ばかりが、どうしても来たいと繰り返し言う(義母と義父)。そうだ、死のう! と思いはじめたのがこの頃で、本格的にギリギリの状態だった。どのようにして死ねばいいだろうと考え、夜な夜なインターネットで検索していた。もう一日たりとも我慢できない。どうすれば楽になれるのか。日増しに強くなるその気持ちに抗うというよりも、ベストな方法を探すという日々が続いた。
 ようやく双子の退院が決まった時点でなんとか精神的には持ち直していたものの、退院を今か今かと待ち構える義父と義母のテンションには心を削られるばかりだった。ようやく退院できた双子を乗せ、夫が運転する車で家に戻ると、義母が家から走って出てきて、双子を見て、「小さいわあ」と言っていた。義父は「ちゃんと飲ませてるのか」と言っていた。こうやって書いていて思うけれど、出産直後の女性にとってはもしや地獄なのでは……?
 そして双子がわが家に戻った翌日から、義父と義母の連日の訪問がスタートした。月曜から金曜まで、冗談抜きに毎日である。断っても来る。朝来たら、午後までいる。手伝ってくれるのはありがたいが(いや、本当にありがたかったことも多かったのだが)、毎日来る人がいる日常は、まったく気が抜けないし、自由が一切なかった。今、認知症になった義母と体が不自由になってしまった義父の元に、連日ヘルパーさんを送り込んでいる自分は、もしかしたらこのときの仕返しをしているのかもしれないと思ったら、ちょっと笑えてしまう。いやいや、ケアが必要なのだからやっているわけで、彼らが連日私のところに通ってくれたことも、立派なケアだったとは思う。
 私がかなり早い時期に双子を保育園に通わせようと決意したのは、このような状況があったことと、当時の友人が私のなかなか消えない希死念慮を知って、勧めてくれた事実がある。あなたのためにもよくないし、子どもにとってもよくない。仕事をはじめているのであればなおさら、保育園に預け、プロに面倒を見てもらうほうがいいと私を説得してくれた。この間に夫の関与が全くなかったわけではなく、義父と義母、そして私の間に立って様々な努力を重ねていたことは書いておく。そして双子を保育園に通わせると同時に、私はメンタルクリニックに通うようになった。

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村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)、『本を読んだら散歩に行こう』(集英社)、『ふたご母戦記』(朝日新聞出版)など。主な訳書に『サカナ・レッスン』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』など。



ツイッター:@Riko_Murai
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