2022.12.20
いつ産むの? 仕事はいつ辞めるの? 何人産むの? 第6回 最大級のトラウマは出産
父は、私をひと目見た瞬間、豹変した
しかし、この話には続きがある。一人寂しく、私を抱きかかえ、重い荷物を背負って帰宅した母を、畳の上に寝そべって出迎えた父は、私をひと目見た瞬間、豹変した。何かのスイッチがしっかり入ってしまったらしい。母の腕から私を奪い取ると、片時も離さなくなった。朝から晩まで私の面倒を見続け、赤ちゃんがやってきたと興奮する兄を決して私に近づけなかったそうだ。目を離したすきに私を触る兄を叱責していたという。この子はあまり泣かないし、本当に育てやすい子だと父は喜んでいたらしい。兄とのギャップによりいっそう愛情が募ったのかもしれない。しかし、そのあまり泣かない子は、実は先天性の心疾患があって元気がなかっただけだろうと思うのだが……。
父の私への大いなる愛情は枯渇することなく、私は長い間、父に溺愛され続けた。幼稚園に行っても、小学校に行っても、父は暇さえあれば私をどこかへ連れ出し、書店に行ったり、レストランで食事をしたり、母に内緒でこづかいを与え続けたりした。父が私を可愛がれば可愛がるほど、兄は卑屈になった。卑屈になった兄はいたずらを繰り返し、成長すると問題行動も増え、それに従って父との関係も険悪なものとなっていく。父に溺愛された私にその状況を変えるためになにかできたとは思えないが、父は親として、人生を賭けてでも兄に手を差し伸べるべきだったと今の私は思っている。
父は三歳年上の母のことを、常におばさんだとからかっていた。現代であれば三歳年上の女性と結婚するなんて普通のことだが、昭和三〇年代ではそうでもなかったかもしれない。父が母をおばさん扱いしていたのは私の記憶にも強く残っていて、母はおばさんというよりは実年齢より若く見えるきれいな人だったというのに、父は一体なぜ母をそこまでおばさん扱いしたかったのか、理由はよくわからない。人気者だった母に対して嫉妬していたのかもしれない。私に対しても、お前は若いうちに結婚して、すぐに子どもを産めよと何度か言っていた。おばさんになるまで残っていちゃだめだぞ。わかったか。当時の私は素直なものだったから、はーいと答えていた。
母自身は何度も、もっと子どもを産んでおけばよかったと私に言っていた。女の子がもう一人か二人いたらよかったな。だって女の子の子育ては楽しそうだもん……と、目の前の女の子である私を完全に無視した状態で言っていたが、彼女の言わんとするところはとてもよく理解できた。あなたの双子はとてもかわいいけれど、できれば女の子も作ったほうがいいよ。だって女の子がいたら、すごく楽しいと思う。一緒にショッピングに行ったり、悩みを相談しあったり、一緒に料理したりできると思うよ? 私もそんな経験をしてみたかったわぁ……と言う母には、内心「いや、私の存在……」とは思ったが、それも母特有のユーモアだということはわかっていた。母は、荒々しい兄の子育てに疲れ果て、楽しい子育てを、可愛らしい女の子の子育てをしたかったのではないか。私みたいに、嫌味とか皮肉を繰り出してくるタイプではない女の子の子育てを。たぶん、家族全員が家族でいることに疲れ果てていた。母でさえも。