2022.7.19
あなたはこれからうちの子になるんやし 第1回 義母のことが怖かった
娘というか………まあ、一応娘ですよ
義母はいつも、自宅で首を長くして私が訪ねて来るのを待っている。車を停め、スーパーで買い込んだ食料品の入った袋を手にし、玄関を開けて入って行くと、車の音に気づいた義母が急いで出迎えに来る。私の顔を見て、一瞬、困惑した表情をする。ヘルパーさんと間違えられる回数が増えてきたのだ。私が「お義母さん、こんにちは。食事を持ってきましたよ」と声をかけると、はっと驚き、そして「ああ、あなただったの! 来てくれてうれしい! やっと来てくれた」と笑顔を見せる。ずっと待っていたのよと、心から歓迎してくれる。そんな義母の表情を見る度に、これは現実なのかと今でも信じられない思いだ。
食料品を冷蔵庫にすべてしまうと、義母とふたりで向かい合わせにダイニングテーブルに座り、近況を報告し合う。義母の話は脈絡がなく、時には女子学生時代へ戻り、器械体操部で代表選手だった頃の練習の厳しさを訴える。次の瞬間には、立ち上がってリビングのフローリングを平均台に見立てて、八十二歳とは思えない身軽さで運動してみせる。そうかと思うと、庭で黒い服を着た男性が歩いている姿を見てとても怖かったと眉をひそめたりする。近所のお城の壁に車が衝突して、何人も亡くなったから、私は車を手放して免許も自分から返納したんですと自慢げに言う。義母と会話をしていると飽きることがない。彼女の脳内で繰り広げられている世界が、幻視、幻聴、妄想の様子が、手に取るようにわかるからだ。私は何度も聞いた話に、驚いてみせる。まるでその時初めて聞いたかのように。
「こんな変なことばかり起きるんやけど、私、何かおかしいやろか」と義母は心配そうに言う。
「おかしくないですよ。なにせお義母さんは後期高齢者ですから、勘違いぐらいありますって」と、私は答える。すると義母は、ハハハと笑ったあとに、急に真面目な表情をして「ねえ、私って何人子どもがいたの? ひとりだったかな……あなたは私の娘よねえ?」と聞く。私はそう聞かれる度に、「娘というか……まあ、一応娘ですよ」と答える。すると義母は、ますます困惑した顔で、「子どもはあなただけだと思うんだけどねえ……」と言う。
「息子がいるじゃないですか! 私の夫ですよ! お義母さんの息子。もう立派なおじさんだけど」と私が努めて明るく答えると、「あ、そうだった、あのおじさん、私の息子だったわ!」と義母は笑って答える。私と義母は、もう何十年も互いを知る友人のような関係になった。私たちの間で、年の差はなんの意味も持たなくなった。義母は昔の義母ではない。本当の彼女の姿に戻っている。
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