よみタイ

あなたはこれからうちの子になるんやし 第1回 義母のことが怖かった

義母の私に対する干渉は終わりがなかった

「こんな狭い家に来られても……」と、母はつらそうに言っていた。たしかに、祖父母の代から多くの人が住んだ実家はボロボロで、私でさえ居心地がいいとは思えなかった。一方で、夫の実家は広かった。田舎ならではの造りで、居住空間はそう広くはなかったが、庭が広く、玄関が立派で、そのうえ、義母が主宰する習い事の教室が玄関脇に作られており、茶室まであった。茶室は実家のシンボルとも言えた。
「どうしてもと言ってくれているのなら、そうね、来てもらおうかな。一応、兄ちゃんにも言っておくね」と母は言った。心が痛んで仕方がなかった。私が母の立場であれば、来てほしいとは思わないだろう。近くのホテルで部屋でも借りて、そこで会食をすればいいとも考えたが、夫の両親は私が生まれ育った場所を見たいと言って譲らなかった。
 夫も、好きにやらせればいい、満足したら黙るだろうと言いはじめた。しかし、義母の私に対する干渉には終わりがなかった。
「それであなた、当日は何を着るつもり? いつもの汚いジーパン姿で行くわけじゃないやろね?」と何度も聞いてきた。義母は私と初めて会った日からずっと、私の服装を批判していた。私からするとただのTシャツにジーンズなのだが、彼女からすれば、常識を知らない、身だしなみを整えることのできない若い女のだらしない服装だった。それが気に入らなくて、はっきりと口に出して指摘した。
「それからあなた、日に焼けてるわね。女は白くないとあかんのや。そんなに黒い顔をしていたら、嫁に仕事させる貧乏な家やと思われるやないの」
「髪をきれいにしなさいな。結うことができる長さにしないと、着物も着ることができないやないの」
「そういえば着物は持ってるの? 持たせてもらわれへんかったんか?」
「着物はうちで用意するわ」
「私があなたを立派なレディにしてあげる」

 私にとって義理の両親は、私に初めて様々なことを強い言葉で無理強いした人たちだったが、それに一切従わない年下の人間(つまり私)に出会うのは、ふたりにとっても初めてのことだったらしい。ふたりの戸惑いは私にも伝わってきた。なぜこの娘は我々に従わないのだ。なぜこの子はこんなにも頑固なのだ。この子以外の人間は、全員我々に従うのに。
 義父は和食料理人で多くの弟子を持ち、義母は妻として義父を支え、弟子の妻たちをまとめ、そして主宰する習い事の師匠として多くの生徒を抱えていた。そんな状況下で、ふたりの言葉は絶対だった。ふたりの自信は強固なものだった。多くの人たちがふたりにひれ伏すように従っていたように私には見えた。それまでの人生で、私は義理の母から言われたほど辛辣しんらつな言葉を誰かから投げかけられたことは一度もない。夫は、紀州の人っていうのはそういうものだよと言うが、義母ほど激しい人は珍しい。
 当時の私がこういった義母の激しい言葉や、義父の頑なな押しつけに屈していたかというと、それはまったく違う。義理の両親も相当なものだったが、今考えてみれば、私も相当に頑固だったと思う。私は絶対に折れなかったし、流されなかったし、不満ははっきりと顔に出して、そして口にも出して表明していた。ふたりに対する言葉遣いもまったく丁寧だとは言えなかった。生意気な小娘と言われても仕方がないような人間だった。仕事のある日に突然義母に生徒さんの集まりに呼び出され、何人もの女性たちの前で叱責されたこともある。呼び出されたのは一度や二度ではない。何度も、何度も、私が行く意味がない集まりに突然呼び出される。そのたびに、私はやりかけの仕事とノートパソコンを持って、バックパック姿で現れた。着物姿の女性たちのなかの、バックパック姿の女。それが私だった。
 私の両親は、確かに多少変わっていて、家にあまり寄りつかず、それぞれが好き勝手に生きていたが、私のことは常に褒めちぎる人たちだった。わが家には互いを認める空気があった。冗談や誇張だとわかっていても、私を、かわいい、賢い、こんな田舎にはもったいないぐらいの子だと褒めちぎってうれしそうに笑っている両親が大好きだったし、今でも無駄に強い自己肯定感はこんな両親のおかげだと思っている。厳しい言葉をかけられた記憶がない。私の周囲にはそのような大人はいなかった。だからこそ、義理の両親の強い押しつけと言葉には驚く以外なかった。
 夫からは、「ふたりの話は聞かなくていい」と言われていた。「しつこいけど、無視でいい」とも。私が「よく今まで無事だったね」と言うと、夫は「だって俺、ふたりの話なんて聞いたことないもん。聞いてるフリして全部右から左や。気にしたら負け。無視でいい、無視で」と言うのだった。
 そう言われてみると確かに、義母と義父の話を真剣に聞く夫の姿を見たことがなかった。食事の席では一方的に、終わりのない話をし続ける義母を、誰の話題も最終的には自分の教室でのあれこれに結びつける義母の話を、「ふうん」と適当に答えながら、一切、聞いていないのは明らかだった。ふんふんと頷き、なるほど~と言いつつ、質問をしないどころか、なんの興味も示さない。私のように、一応聞いて、そしてイライラする人よりよっぽど強い。なるほど、そうやってサバイバルしてきたのだなと理解するに至った。今に至ってもそうなのだが、私は夫のメンタルの強さに勝てる気がしない。
 私の母は、この夫のあっけらかんとした強さが大好きだった。はじめて夫を実家に連れて行った日の夜、電話をかけてきた母はうれしそうにこう言った。
「いい人見つけたじゃない! あんなに穏やかで、あっけらかんとして、心が広い人もあまりいないわよ。こんなこと言っちゃなんだけど、噂のすごいお義母さんから生まれたとはちょっと思えないよね」と何度も言って、アハハとうれしそうに笑っていた。
 夫については、兄も同じ意見だった。「あんなにいい人、めったにいないぞ! 親父おやじみたいに短気なやつだったらどうしようかと思ったけど、すごくいい人じゃないか。のんびりしている人のほうがいい。まあ、母ちゃんから聞くと相当きつそうなお義母さんだっていうけど、お前もずうずうしいタイプだから大丈夫だろ。また面白い話を聞かせろよ。なにかあったら電話してこい。お前の話はいつでも聞いてやる。面白い話にしてくれよ」と言って大笑いしていた。

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新刊紹介

村井理子

1970年、静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』『村井さんちの生活』 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『ブッシュ妄言録』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『ふたご母戦記』など。主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖』『エデュケーション』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』『射精責任』など。

X:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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