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あなたはこれからうちの子になるんやし 第1回 義母のことが怖かった

もっと驚いたのは、その次に起きたことだった

 この数か月前のことだ。夫と私は夫の実家に呼び出されていた。義母と義父から話があるというのだ。入籍のことだろうと見当はついた。とにかく、何度も何度も、早く結婚しろと夫の両親からは言われ続けていた。そのたびに、ハイハイと適当に流していたが、私にとってその執拗さは恐怖以外の何ものでもなかった。「なんなんだよ、めんどくさい」「いちいち呼ぶなよ」と、私たちは文句を垂れつつ、仕方なく、夫の実家に向かったのだった。
 居間には義父母が難しい顔をして座っており、私たちも座るよう促された。用件はやはり結婚のことだった。当時、私たちは知り合ってからすでに数年が経過していて、私が住んでいた京都のマンションで半同棲のような暮らしをしていた。私たちにとって結婚はあまり大きな意味を持たず、現状維持で満足だった。それぞれが仕事を持ち、自由に暮らしていた。しかし義理の両親は、それでは満足できなかった。
 義父が珍しく強い言葉で、世間体が悪いから早く結婚しろと言った。義母がヒステリックな声で、口を挟んだ。そんなやりとりがしばらく続き、温厚な夫が珍しく怒り、「うるさいなあ!」と義父を一喝いっかつした。私はその大声に驚き、義父は温厚な息子に大きな声を出されたことにショックを受けた様子だった。しかし私がもっと驚いたのは、その次に起きたことだった。義母が猛然と立ち上がり、激高げきこうして、それまで座っていたダイニングチェアを両手で握りしめ、持ち上げようとしていたのだ。
 当時二十代だった私は当然今よりも俊敏で、咄嗟とっさに逃げた。義父は義母を止め、夫は驚きのあまり呆然として立っていた。義母は怒り、泣き、夫と私に対して大声を出した。そして泣きながら別の部屋へ行ってしまった。私も夫も義父も、唖然として何も言えず、そのまま解散となった。私たちはそそくさと実家を後にした。
 一体あれはなんだったのか。考えれば考えるほど、これはまずい状況なのではと思わずにはいられなかった。夫は「距離を置くしかない」と言った。結婚については一旦置いておいて、とりあえず逃げるが勝ちだ。私と夫の団結は強くなり、そして京都での物件探しが始まった。広めの家に引っ越しをしよう、職場の近くに住めばいい。とにかく、距離を置けばなんとかなるだろう。私たちも大人だから、親の言うことをすべて聞く必要なんてないのだ。
 しかし、それも長くは続かなかった。義理の両親のプレッシャーが増してきた。私たちと同居はしなくていいから、とにかく籍だけは入れなさい、世間体が悪いから結婚しなさいと、あの手この手で責められ、説得され、私も夫もとうとう折れた。いずれは結婚するのだから、今のうちにしてしまえばいいだろう。それに、ふたりが根っからの悪人でないことはわかっていた。とにもかくにも世間体、それだけだ。彼らの人生のゴールは息子を結婚させること。そして自分たちが孫に囲まれ、幸せな余生を送ること。その夢を実現するためなら、なりふり構うことはない。
 結局、私たちは和解した。私と夫が借りた一軒家にふたりを招待し、食事をした。借家にやってきた義父は家のなかを見回して何も言わなかったが、義母は「下水の臭いがきつい。だから同居すればいいって言うたやないの」と怒り心頭で言っていた。私が作った料理にもあまり手をつけず、ふたりはあっという間に帰っていった。その席で、夫の両親が私の母と兄に会いに、実家に行くことが決まったのだった。

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新刊紹介

村井理子

1970年、静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』『村井さんちの生活』 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『ブッシュ妄言録』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『ふたご母戦記』など。主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖』『エデュケーション』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』『射精責任』など。

X:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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