2023.4.28
スパゲッティがパスタと呼ばれ始めた日
あなたのまわりにも「ハザマのスパゲッティ」が
ここまで説明すれば「ああ、ああいう店のことか!」とピンとくる方も多いのではないでしょうか。このタイプの店は、今でも結構生き残っていますし、中には時代に合わせて内容を少しずつ変えて、半ばイタリア風の「パスタ」の店としてメタモルフォーゼを果たした店もあります。
「ハザマのスパゲッティ」にはこれ以外にも、少しずつ異なるいくつかのパターンがありますが、僕はそれらこそが「ナポリタンの時代」と「パスタの時代」をスムーズに繋いだ重要な存在なのではないかと考えています。先にも書いたように、マスコミが「イタメシ」ブームを喧伝し、「アルデンテ」という概念を定着させたのと、実際のイタリア料理の一般的な普及にはタイムラグがありました。そのタイムラグを埋めたのが「ハザマのスパゲッティ」であり、そしてそれは本場風イタリアン普及の後も共存し続けました。あたかも生物史におけるネアンデルタール人とホモサピエンスのように。そしてその覇権交代と共存こそが、日本のイタリアン普及において、様々なドラマを紡ぎ出したのではないかと思っています。
ハザマのスパゲッティにおいて「たらこ」や「きのこの和風醤油」などの、和風スパゲッティが重要な役割を占めていたのは確かです。しかし同時に、トマトソースやクリームソース、ガーリックオイルなどのメニューは、おそらく「イタリア本場の味」と認識されていたことでしょう。
しかし実際は、トマトソースは香味野菜と共に長時間煮込まれた、従来の「洋食」のそれに近いものであり、クリームソースはイタリア式の生クリームベースではなく、これまた旧来の洋食店的な「ベシャメルソース」であることも少なくありませんでした。生クリームの店もあったとは思いますが、それはコンソメ顆粒などによる「小味の利いた(前回参照)」味付けであり、本場風のそれのように、もったりと煮詰められることも、パルミジャーノなどの硬質チーズでコクと濃度を付与されることもほぼありませんでした。少し後の時代に「ペペロンチーノ」として知られることになる「ガーリックオイル」のメニューもやはり、昆布茶、醤油、オイスターソース、といったうま味系の隠し味が用いられた(小味の利いた)ものでした。

このことは、その後90年代以降に来る「本場風イタリアンの時代」にも、ある種の呪縛を残しました。スパゲッティを「パスタ」と呼び、「前菜」「オードブル」ではなく「アンティパスト」、「デザート」ではなく「ドルチェ」という言葉が採用され、「いらっしゃいませ」「お願いします」の代わりに「ボンジョルノ!」「ペルファボーレ!」といったイタリア語が陽気に飛び交い……つまり、何が何でも従来のスパゲッティ&ピザパイの昭和文化と明確に差別化せんと躍起になっていたそういう店でも、実際に提供されるスパゲッティ/パスタの半分くらいは、「ハザマのスパゲッティ」を引き継がざるを得なかったのです。
だいたいの店には相変わらず明太子スパゲッティが置かれ、ペペロンチーノにはうま味系の調味料が使われ続けました。ベシャメルソースのクリームソースこそほぼ消滅したものの、カルボナーラはあくまで生クリームがベースで、そこに卵黄やベーコンが加えられた「ハザマスタイル」のままでした。そしてそのことは、実は令和の現代においても大きく変わってはいません。現代主流のスタイルのイタリア料理店にも、そういったハザマの文化はしぶとく残っています。
ホモサピエンスのDNAを解析すると、そこにはかつて交配したネアンデルタール人のDNAの痕跡がはっきり残っているそうです。それとよく似ているかもしれません……って、かえってわかりにくいたとえでスミマセン。