2023.4.14
イタリアン=スパゲッティだった日本に訪れた「イタメシ」ブーム
「現地風の店」が出店すると、なぜこれほど日本人は喜ぶのか。
日本人が「異国の味」に求めているものはなんなのか。
博覧強記の料理人が、日本人の「舌」を形成する食文化に迫るエッセイ。
前回はロシア料理編をお届けしました。
今回からは、日本の外食文化の絶対王者「イタリアン」を全5回にわたり論じていきます。初回は、イタリアン=スパゲッティ、だった80年代を振り返ります。
80年代「イタメシ」ブーム、しかしそれはまだ庶民にとっては縁遠い物だった
今更ながら、改めて。この連載は、日本における外国料理の変遷を扱っています。なので、対象となるのが僕自身が実際行ったことのある国の料理であってもそうでなくても、あくまで日本に住む一生活者としての視点からの話を書く、という点は一貫しています。「本場ではこうだった」という話はあえて避け、あくまで日本で見聞きしたことに絞っているわけです。
しかし、ことイタリア料理に限っては少し状況が特殊です。なぜなら、イタリアは僕にとって「行ったことがない」国であるにもかかわらず、「本場はこうだ」という話だけは、日本に居たままでいくらでも耳に入ってくるから。本やネットはもちろん、実際行った人から生の話を聞くことも少なくありません。そしてイタリア料理は、とかく本場との対比で語られがちです。
長年そんなことが続いてきたから、僕はもはや行ったことがあるかのような錯覚に陥ることがあります。すっかり「耳年増」の状態です。
僕が初めてイタリア料理に関して本場の生の情報を得たのは、イタリア旅行から帰ってきた母親からでした。まだ中学生の頃でしたから、1980年代ということになります。
彼女にとってイタリアは憧れの国のひとつであり、またスパゲッティは得意料理でもありましたから、行く前は本場のそれをとても楽しみにしていました。しかし帰国した母は、実に残念そうな口ぶりでこんなことを言ったのです。
「本場のスパゲッティは大味で、ちっともおいしくなかった」
大味、というのはなかなか説明が難しい概念ですが、その対義語は「小味が利いている」です。繊細な旨味が複雑に折り重なった味と言えるでしょう。そうなると「大味」は、単調で大雑把な味、ということになるでしょうか。
その数年後、現地の味の報告を僕にもたらしてくれた二人目の人物は、同級生の女の子でした。彼女は母と違い、それを極めて好意的に受け止めていました。
「スパゲッティのトマトソースがびっくりするくらい酸っぱくてすごくおいしかった」
というのがその感想。
二人の異なる感想は、今となってはどちらもなんとなく腑に落ちます。素材をシンプルに生かした本場のスパゲッティは、期待値が高すぎたことも相まって単調な味に感じられたのでしょうし、短時間で手早く仕上げられるトマトソースもまた、当時の日本の一般的な洋食におけるそれとは全く異なっていた、ということです。
当時の「本格的な」スパゲッティのイメージとは、手の込んだ洋食メニューのひとつ、というものでした。味付けには「昆布茶」や「醤油」などの隠し味が複雑に使われ、トマトソースを始めとする各種ソースも、いろいろな香味野菜と共にじっくり長時間、酸味を飛ばして甘味を引き出すように煮込まれ続けるものだったと思います。