よみタイ

タイ料理が切り拓いた、和・洋・中以外の「第4の選択肢」

「マズい草」の衝撃

 しかし、当時何より衝撃的だったのがパクチーです。最初は僕もわけがわかりませんでした。唐辛子の辛さは「ちょっとした痩せ我慢」さえすれば乗り越えられて、乗り越えればかえってヤミツキになる。酸っぱさは、タイ料理の特徴のひとつである「甘さ」で相殺される。ナンプラーやココナツは、びっくりしつつもなぜかすんなり受け入れられる。
 しかしパクチーは別でした。最初は僕も「なんでこんなマズい『草』を、わざわざ料理に入れるんだろう」と首を傾げつつ、さりげなくけて食べていました。そのうちわざわざ避けるのも面倒になり、(あるいは少しの見栄もあり)なんとなく(仕方なく)食べているうちに、気がつけばその独特すぎる味わいの虜になっていました。今考えても少し不思議です。
 パクチーを克服してからは、他のハーブもだんだん個別に認識していくようになりました。レモングラスやバイマックルーといった、これもまたタイ料理に欠かせないハーブです。これらはやっぱり未知の香りではあったけど、ナンプラー同様、どこかすんなり馴染める要素でもありました。
 ミントはココナツ同様、それまでは料理に使われるイメージがゼロだった要素です。特殊なお菓子か「歯磨き粉」のイメージですね。でもそれも、難敵パクチーすら乗り越えた後では、たいしたハードルではありませんでした。

 思わず長々と、当時の僕がタイ料理から受けた衝撃を因数分解してしまいましたが、これらは全て、タイ料理を知る前には完全に未知の味覚要素でした。もう少し具体的に言うと、それまで知っていた「世界の料理」は「和・洋・中」というシンプルな三文字に集約されていました。しかし上にあげた各要素は、全てそこには無いものだったのです。
 今となっては、ナンプラーはむしろ日本人なら誰もが知る基本調味料のひとつですし、ココナツやパクチーが料理に使われるのも(相変わらず人によって多少の好き嫌いはあるにせよ)当たり前。日本人の「辛さ耐性」は飛躍的に向上し、当時の「激辛」も今となっては、「んー、確かに辛いけど別に普通?」程度のことになっていると感じます。長粒米を「外米」と呼んで毛嫌いする感覚も、今やすっかり過去のものです。
 しかしそれらは全て、その時代に始まったのです。そんなパラダイムシフトをリアルタイムで体験した世代にとってタイ料理は、一生涯にわたるある種特別な存在になったのではないでしょうか。

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新刊紹介

稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)の展開に尽力する。
2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。
Twitter @inadashunsukeなどで情報を発信し、「サイゼリヤ100%☆活用術」なども話題に。
著書に『おいしいもので できている』(リトルモア)、『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(柴田書店)、『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『キッチンが呼んでる!』(小学館)など。近著に『ミニマル料理』(柴田書店)、『個性を極めて使いこなす スパイス完全ガイド』(西東社)、『インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)、『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)。

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