2022.11.11
「ガチ中華」の誕生――「現地そのままの味」の店はいかにして生まれたのか
「現地風の店」が出店すると、なぜこれほど日本人は喜ぶのか。
日本人が「異国の味」に求めているものはなんなのか。
博覧強記の料理人が、日本人の「舌」を形成する食文化に迫るエッセイ。
前回は、日本における「中国料理」を考えるうえで非常に重要だった、90年代のバーミヤンと際コーポレーションの登場について考察しました。
今回は、前々回に登場した「大陸系中華」の名店でのエキサイティングな出会いが綴られます。
本場の中国料理がやってきた【本史】 大陸系中華が辿った2つの道
話は前々回の続きに戻ります。2000年代初頭の名古屋における、中国人経営のいわゆる大陸系中華の走りとも言える店での話です。
店の名前は〔K館〕。あえて中華料理ではなく台湾料理店を標榜するK館のメニューは、日本人にもお馴染みの日式中華料理に加え、名古屋では極めてポピュラーであった名古屋式台湾料理が中心でしたが、それに加え、見たことも聞いたこともない料理も並んでいました。店のコックさん達の出身地域の料理です。
つまり、本場の中国料理ということになりますが、それらは僕がそれまで知っていた本場の料理とも少し趣を異にしていました。それまで僕が知っていた本場の中国料理は、あくまで高級店のハイエンドな宴席料理です。それこそ、フカヒレ、鮑、海鼠、北京ダック、みたいな世界ですね。K館の中国料理はもちろんそういうものではありません。なにしろ基本は「安くてボリュームたっぷり」な店です。あくまで庶民的な中国料理です。僕はそれにすっかり夢中になりました。
それに近いものは前回にも触れた初期バーミヤンや紅虎餃子房でも楽しんでいましたが、K館のそれは、なんというか、もっと素朴かつワイルドでした。
そんなK館の料理の話に進む前に、当時のこの店でのちょっとした思い出話を。
この店を最初に教えてくれたのは、僕より少し年下のN君です。N君は若くして小さな独立系音楽レーベルのオーナーで、自身もミュージシャンとしてマイペースに作品を発表していました。レーベルの音楽ジャンルは、ギターポップとかネオアコとか渋谷系とかそういうやつです。ある日N君はそのレーベル周りに集うバンドマンやDJを引率してこの店を訪れました。その中に僕も混ざっていたということです。
その時N君が語った「なぜ俺がこの店を気に入ってるか」の話が、実にふるっていました。
古今東西、音楽家は基本的に貧乏です。それを束ねるレーベルオーナーも、ごく一部の例外を除けば、同じかそれ以上に貧乏です。N君も当然そのひとりでした。安くてボリューム満点のK館はありがたい存在。そのことは大前提として、しかし、そこにはN君を強烈に惹きつける魅力がありました。
「俺、食べ物で何が好きって細く切ったものなんだよね。この店にはそれがいっぱいある」
確かにその店には、青椒肉絲はもちろん、搾菜と豚肉の細切り炒めや、千切り胡瓜の和え物や、千切りじゃがいもを使った料理各種など、さまざまな「千切り料理」がありました。N君は日々それをせっせと食べていたのです。
好きな食べ物を聞かれて、焼き肉とか寿司とかラーメンを答える人は多い。甘いものとかスパイシーなもの、という切り口もあります。しかしそこで「細く切った食べ物」と言い始めた人は、僕が知る限り後にも先にもN君だけです。僕は、さすがレーベルオーナーなんていう創造的かつ面倒臭いことこの上ない特殊なクリエーターの発想は一味も二味も違うな、とすっかり感嘆しました。

N君はいつもせっせと細切り料理ばかりを食べ、僕は見慣れない本場の料理ばかりを食べました。
特に感激したのが「酸菜粉」。乳酸発酵ですっかり酸っぱくなった白菜の漬物を、豚肉、春雨と共に炒めたものです。そこに茴香などの香辛料の香りも潜んでいます。それまでどこでも食べたことのない、似たものすらない素晴らしい料理でした。
「豆腐干絲」があるのにも感激しました。乾燥させた豆腐を細く切って茹で、塩と胡麻油が中心のシンプルな味付け、そこに香菜も入ります。ちなみにこの料理自体はこの数年前、その後全国展開する小籠包専門店〔上海湯包小館〕の一号店で出会っていました。オープン当初のその店は完全に本場中国料理の店でしたが、その後あっという間に小籠包以外のメニューは全て中華料理に置き換えられ、僕はほぞを噛んでいたのです。その後のバーミヤンとよく似た展開ですね。