2023.4.20
正妻VS愛人、勝負ありはどっち? 第13回 その時、母は空高く飛翔した——父の大胆浮気事件と、ヅ・ラ・ランド
『パリ季記』の復刊に続き、12月には書き下ろしの『イオビエ』が発売されます。
2022年2月14日、コロナウイルスの終息が見えないなか、16年ぶりに猫沢さんは2匹の猫と共に再びフランスに渡りました。
遠く離れたからこそ見える日本、故郷の福島、そしていわゆる「普通」と一線を画していた家族の面々……。フランスと日本を結んで描くエッセイです。
前回は、四半世紀前の猫沢家で巻き起こった結納騒動について。
今回は、猫沢さんのルーツを語るうえで欠かせない、父の女性問題にまつわるエピソードです。
第13回 その時、母は空高く飛翔した——父の大胆浮気事件と、ヅ・ラ・ランド
先日、2月14日ヴァレンタインデーをもって、フランスに移住して丸1年の記念日を迎えた。渡航日がヴァレンタインデーになったのはロマンス狙いでもなんでもなく、我が家の愛猫2匹を安全に輸送するための算段をつけた結果に加え、オミクロン株が猛威を振るっていた当時の航空事情が相まって、すべての条件が揃った便が、偶然この日しか見当たらなかったのだ。ちなみに私がフランスへ到着した10日後、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、世界の航空路線が一時、断たれた。
移住と同時に東京のマンションを売却し、コロナ禍終盤のオミクロン山を越え、愛猫2匹をどこへも預けることなく、ドアツードアで東京・パリ間を移動させるというこの上もなく難易度の高い移住計画だった。網の目のように組まれたスケジュールが、ひとつでも狂えば御破算のデンジャラスな綱渡り。しかも私にとっての移住のチャンスは、2月14日から10日間しかなかったことになる。じゃあ〝2月14日よりも前に行けばいいじゃない〟のマリー・アントワネット的発想はどうだったのかといえば、これもまた、マンション売却に伴う、段階を踏んだ契約のあれこれで不可能だった。今思えば、これからの未来は今まで通り、そう簡単に外国間の行き来ができなくなる、ということをまるで予見していたかのような思い切った売却だったが、後ろ髪引かれるものを日本に残さないという決断は、我ながら正しかった気がしている。
そんな人生に一度あるかないかのアドベンチャーな記念日が2月14日に設定されたわけなので、我々カップルとしては今年のヴァレンタインデーに並々ならぬモチベーションを抱いてもよさそうだったが、現実は、期限ギリギリで滞在許可証の手続き、というロマンのかけらもない事務作業に追われていて、気力も時間もほぼなかった。それでも14日の朝、彼が花束をプレゼントしてくれたのは嬉しかった。と、ここでちょっと解説。日本ではなぜか女性から男性にチョコレートを贈って愛の告白をする日、というスタイルで定着したヴァレンタインデーだが、フランスではどちらかといえば男性が女性に贈り物(特に花束が多い)をして、ふたりでゆっくり食事をしながら愛を語らう日だ。もちろん、チョコレートに特化して贈る習慣もない。
毎年ヴァレンタインデーになると、〝Mairie de Paris, Informations– パリ市からのお知らせ電光掲示板 〟に市民から応募した愛のメッセージを表示するのが恒例になっている。その中には『すべてが始まったこの愛の街で僕たちの物語を綴り続けよう』なんていう、詩人も真っ青なロマンチックな文言がズラリと並ぶのだ。これ、フランス語だからさまになるけど、日本語で言ったらなんかこっ恥ずかしい……なんて言ってる場合じゃない。パリ暮らしを1年経てしみじみ感じたのは、世界でよく語られる〝アムール(愛)の国・フランス〟という異名は、わりとそのまんまだなということ。そりゃフランス人とはいえ、愛が濃ゆい人も、薄い人もいるから一概にどうこうとはいえないけれど、ふつうに仲のいいカップルなら、1日に何度か「愛しているよ」と素直に想いを告げ合うのは当たり前。こうして仲のいいまま、死ぬまで添い遂げるカップルもいれば、そうでないカップルもたくさんいる。ただ、仲のいいお年寄りのカップルは、手を繋いで微笑み合ってキスしたり、まさに一昔前の〝チャーミーグリーン〟のCMに出てくる理想の老夫婦みたいにかわいいのだ。
その傍ら、明日のことは誰にもわからない、今を生きるフランス人のフォーリンラブは、突然、炎のごとく燃え上がることもしばしば。そんなアムールの国の都・パリは、それをも受け止める。数年前のヴァレンタインデーに、パリ市からのお知らせとして電光掲示板に表示されたのは、『本日、パリ市内のお花屋さんで花束を買うと、もうひとつは半額! 奥さんへはもちろんのこと、愛人にもお忘れなく♡ 』であった(笑)。なんて現実味あふれる、人間社会のリアルな影を隠さない粋な計らい。私がフランスを愛してやまない理由のひとつが、公私問わず〝人間だもの〟なヒューマン対応であることだ。
しかし……今でこそ〝愛人〟という単語を耳にしても動じなくなったが、若かりし頃は、私にとって最も遠ざけたいキラーワードだった。