2022.6.16
新居のアパルトマンから見える高い壁の先にあるもの 第3回 おかしいのは誰だ? パリ最大の精神科病院とYと祖父
在パリ20年の友人が救急で運ばれたのは
引越してから間もなくして、パリの友人・Yちゃんが訪ねてきてくれた。彼女は、フランスのTV業界、映画、CMなどの映像の世界で長く活躍してきたメイクアップアーティストだ。フランス語はネイティヴレベル、ガッツがあって芯の強い今年で在パリ20年のベテランYちゃんに限らず、長くパリに暮らすと、日本ではあり得ない酷い目に遭う、というのをみなどこかしらで経験するものだが(やな街だな……笑)Yちゃんは特に、強靭な精神力の持ち主ゆえ、むしろパリが彼女に試練を与えているんじゃないのか? と思うほど数々の逸話持ちなのだ。この日も「ちょっと聞いてくださいよ!」と言う彼女のいつもの口上で始まったのが、昨年9月末の話。ある会食で中華街のレストランへ行ったYちゃんは、海老や上海蟹などの魚介の一皿を食べた。食べている最中から、もうふらふらし始めて異変に気づいたものの、この後の惨事など想像もしていなかった彼女は自力で家に帰った。ところが家に着くころには身体中の感覚が麻痺し始め、ついには手足も動かなくなり、しゃべることもできなくなってしまった。幸い、Yちゃんの暮らすシェアハウスの大家さんが夜間に救急車を呼んでくれ、彼女は近くのサン・ジョゼフ私立病院へ搬送された。そして、症状からまずは脳の病気を疑われ検査を受けたが、新米風の当直医から「身体的問題は見つかりませんでした。となると、精神の問題からきている可能性があります」と告げられるも、言葉を発せなくなったYちゃんは、心のなかで《違う! 違うって‼︎》と叫ぶしかすべがなく、未明の早朝4時、今度はパリ最大の精神科、サンタンヌ病院へ移送されたのだった。「想像してみてくださいよ……生まれて初めての精神科病院に、こんな深い時間にいきなり連れてこられて……ただ、幸いにも1回目の医師の問診時には、もう結構話せるようになっていて事情を説明できたんですよね。それから少しして、2回目の問診で通された部屋が、鉄格子に鎖で施錠してあって(泣)。やっと出してもらったコーヒーが、ボロボロのカフェオレボウルだったり(中泣)。もう本当にパニックで、どうにかなりそうだったんですけど、最初の病院の誤診で搬送されたっていうのをやっとわかってもらえて、家に帰れたんです(大泣)。
それが、ほら。あの病院ですよ」
え……?
キッチンの窓の向こう。あの高い壁と木立を指差しながら、Yちゃんは赤ワインをクイと飲んだ。実は魚介の神経毒にあたった一時的な全身麻痺だったと、後日わかったそうだ。
マジか。我が家に採光をもたらしているあの謎のエリアが、パリ最大の精神科病院だなんて。いや、精神科病院という単語になんの差別意識もないどころか、Yちゃんが涙まじりに語った話には、突然の事態と相まって、恐怖に煽られた先入観が多分に含まれていることは否めない。しかし、我が家にとっては切っても切れない大変お世話になった存在、それが精神科病院。ただ、どうしてもこの単語を聞くといやがおうにも浮かんでくる画がある。