よみタイ

祖父とゴッホとフランスと―16年ぶりのパリで故郷の家族を思う 第1回 リヴォリ通りの呉服店

”母の虚言では?”疑惑

 母は、わりとしょっちゅう嘘をついた。いとも簡単に。しかし大抵、それは見え透いた幼稚な策略だったり、自分のヘマを隠すために使われたりするもので、こうした親戚の又聞きヒストリーを脚色しても、彼女にはなんの得にもならない。したがって、この話はあながち作り話でもないのだろうという結論が、のちにふたりの弟たちとの会話で導き出された。

「うちはフランスと縁があるのねえ」母は、まるでそのまなこにエッフェル塔でも映っているかのような表情で、ウットリとつぶやいた。それを聞いた私は「なにがフランスと縁だよ……」と、内心失笑していた。

 確かに母はフランス好きだった。若い頃から油彩画を趣味にして、よく絵も描いていた。ときどき、阿武隈川に架けられた古い赤レンガの鉄橋が見える川辺まで私たちを連れて写生をしに行ったりもした。彼女の寝室には、若い頃にお給料を貯めて買ったというゴッホの《麦畑》の模写がかけられていて、ゴッホの素晴らしさを熱く語っていた。「ゴッホの色味が好きよ。やっぱりフランス人の感覚は、どこか素敵なのよねえ」。いえ!ゴッホ、オランダ人なんで!(笑)。確かにフランスで数々の名画を生み出してますけど……という具合に、母のフランス好きは、かなり曖昧な知識に基づいた〝フランス憧れ第一世代〟枠内ではあったのだけど。

 ご存じのように、ゴッホは精神障害を抱えた苦難の人生を歩んだ人だが、彼の誕生日、3月30日は祖父の誕生日と同じで、それがずっと気になっていた。というのも、祖父もかなりの精神障害があり、それはゴッホと誕生日が一緒だからなんじゃないかっていうまことしやかな疑念を、子どもの頃から持っていたから。祖父は、もともと兄が継ぐ予定だった家督を兄の早逝により継いだ人で、生まれつき精神のバランスが危うい人だった。そこに、太平洋戦争の出兵が重なって、完全に一線を超えてしまった。とはいえ、孫の私に見せていた彼の奇行は天真爛漫で、どちらかといえば人の笑いを誘う罪のないものが多かった。祖父は、ゴッホのように絵を描いたりはしなかったが、書道が趣味で字は書いていた。呉服店を営んでいると、展示会や売り出しで何かと筆を使って書く機会が多く、そのお役はいつも祖父に回ってくるのだった。それは、祖父の唯一の仕事だったと言えるかもしれない。

 

1 2 3

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

関連記事

新刊紹介

猫沢エミ

ねこざわ・えみ
ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』『イオビエ』『猫沢家の一族』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。

Instagram:@necozawaemi

週間ランキング 今読まれているホットな記事

  1. 「神戸大学以上の学歴の女性」としか結婚しないと決めた東大文一原理主義者【凹沢みなみ×『学歴狂の詩』紹介マンガ】

  2. 灘中高→4浪で東京都立大のナツ・ミートが『学歴狂の詩』を読み解く

  3. 「学歴」というフィルターで世界を認識する狂人たち【小川哲×佐川恭一 学歴対談・前編】

  4. 小説家デビューは「受験勉強」で攻略できるのか?【小川哲×佐川恭一 学歴対談・後編】

  5. 伊藤弘了「感想迷子のための映画入門」

    岩井俊二『Love Letter』のヒロインが一人二役である理由 ――あるいは「そっくり」であることの甘美な残酷さ

  6. 佐川恭一「学歴狂の詩」

    「田舎の神童」の作り方【学歴狂の詩 無料公開中!】

  7. 新刊 : 佐川恭一
    笑いと狂気の学歴ノンフィクション

    学歴狂の詩

  8. 佐川恭一「学歴狂の詩」

    「阪大みたいなもん、俺は三位で受かるっちゅうことや!」マウント気質が強い〈非リア王〉遠藤【学歴狂の詩 試し読み】

  9. 佐川恭一「学歴狂の詩」

    天才・濱慎平がつぶやいた「こんなんもう手の運動やん……」【学歴狂の詩 試し読み】

  10. 学歴にこだわる陰キャはエモ系界隈に逆襲できるのか?【凹沢みなみ×佐川恭一 対談】

  1. しろやぎ秋吾「白兎先生は働かない」

    同僚の先生に嫌われるのが怖かった教頭の決意【白兎先生は働かない 第14話】

  2. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    女性用風俗に通う女性たちの心のうちを描くコミック新連載【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第1話前編】

  3. 野原広子「もう一度、君の声が聞けたなら」

    妻が逝った。オレ、もう笑えないかもしれない 第1話 さよなら、タマちゃん

  4. しろやぎ秋吾「白兎先生は働かない」

    「どうして管理職になってしまったんだろう」教頭先生の苦悩【白兎先生は働かない 第13話】

  5. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    同世代の男にはもう懲りたと思っていたけど、新人セラピストの彼に出会って…【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第1話後編】

  6. 上田惣子「体重減・筋肉増のおばあさんになる「あすけん」式 人生最後のダイエット」

    体型と体質は、遺伝の呪縛から逃れられるか 第9回 自分に合ったダイエット探し

  7. しろやぎ秋吾「白兎先生は働かない」

    「教師が足りない…」苦しい学校現場を運営する教頭先生【白兎先生は働かない 第12話】

  8. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    普段は厳しい女性上司を演じているけど……SM専門女性用風俗で見つけた「本当の私」【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第4話】

  9. しろやぎ秋吾「白兎先生は働かない」

    絶対に定時で帰る中学校教師……その驚きの理由とは? 第1話 部活にはいきません

  10. なかはら・ももた/菅野久美子「私たちは癒されたい 女風に行ってもいいですか?」

    30代独身女性が女風を利用して気づいた「一番大切にするべきなのは…」【漫画:なかはら・ももた/原作:菅野久美子「私たちは癒されたい」第2話後編】