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祖父とゴッホとフランスと―16年ぶりのパリで故郷の家族を思う 第1回 リヴォリ通りの呉服店

祖父の書の穏やかならぬ代表作

 私が高校3年生だったある日、学校から戻ると部屋の襖ふすまに巨大な筆文字で

「馬」

 と書かれていた。当時、私が使っていたのは古い和室だったから、どんなに可愛くしつらえてみても、アーバンお洒落部屋を目指すのは到底無理とはわかっていたけれど、10代の高校生女子の部屋に、馬って……。祖父の暴挙を止められなかった母をなじると「ごめんねえ〜。ちょっと目を離した隙におじいちゃん、書いちゃって」とか言いつつ笑ってるし。

 字体そのものは特別上手でも下手でもなかったが、ハートがヒットしたらどこにでも書く、というスタイルがほぼグラフィティーアートだった。彼は書の世界へ入る時、ふんどし一丁になり床に寝転がる。腕を組んだまま天井を睨みつけて、閃ひらめきが降りてくるのを静かに待つ。それから頭上に並べた筆をやおら引っ掴むと、心のままに家の至る所へ書き殴るのだった。彼の作品キャンバスは襖が中心だったが、大きな半紙にもよく書いて、床の間にも飾っていた。代表作は

 〝羊のはらわたを食らう〟

 心穏やかでない。この床の間の前で啜すする茶も美味くない。それでまた母に「なんなのよ?! この文言は」と尋ねると「さあね〜……」と、その時は、あてもないようなリアクションだったけれど、祖父が亡くなってしばらく経ってから「ねえ、おじいちゃんの羊のはらわた覚えてる?」と、突然言い出した。母の話によると、あの書を書いた前日の夜、祖父と父はつかみ合いの喧嘩をした。父はひつじどしだから、祖父はきっと父への憤懣ふんまんやるかたなしな気持ちをこめたのだろうと。とはいえ、はらわた食わんでも……。父は祖父を毛嫌いしていたが、祖父はそんなこと気にもとめていないかのように、自由奔放に日々を好き勝手に送っていた。おとなの事情がわからない子どもには、なぜか社会から逸脱したおとなの方が素敵に見える。それゆえか、私は祖父が大好きだった。確かに祖母や両親は大変そうだったけど、祖父が幼い頃の私に、奇想天外な世界の見方を教えてくれたからこそ、何かをクリエイトする仕事につけたんだろうと思う。で、フランス。母の言うような縁は他にどこにも見当たらない。ただ、祖父がゴッホと同じ誕生日なだけ。ちなみに父、母と立て続けに他界した後、3代続いた呉服店は閉店し、フランスはおろか着物屋稼業そのものと縁が途切れた。

 祖父の葬儀の時、母が「おじいちゃんはだいぶ変わってたけど、嫌な人じゃなかった。優しくて憎めない、かわいい人だった」と言ったのが心に残っている。そんな母も2019年に他界し、私は今、母が世界でいちばん好きだった街、パリに暮らし始めた。母の腎臓がんの見送り終末期に、外国へ行ってしまうかもしれない娘に向かって「寂しいから行かないで。それでも行くなら、おまえの幸せを邪魔して行けなくしてやる〜」と小悪魔みたいな顔をして言った母よ(あれは半ば本気だったよな?)。

 とうとう家族の歴史を踏み越えて、私はパリへ来ましたよ。今こそ自分の人生を生きるために。

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猫沢エミ

ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に料理レシピエッセイ『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。
9月、一度目のパリ在住期を綴った『パリ季記 フランスでひとり+1匹暮らし』が16年ぶりに復刊(扶桑社)。また、12月9日には最新刊、愛猫イオの物語『イオビエ』(TAC出版)が発売予定。

Instagram:@necozawaemi

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