2020.12.18
ミラノのマクドナルドは自由の味がする
プライベートや取材で、さまざまな場所を訪れ、人々と食卓を囲み語る。
日常や旅先で見つけた、人生の記憶に残る言葉やエピソードの数々。
人との出会いは一期一会。だけど宴は縁をつなぐ――そんな食と人生にまつわるエッセイです。
前回は、30歳差の親友という小6男子との素敵すぎてキュンとなるエピソードでした。
今回の舞台はミラノ。かつての旅行先で出会ったカザフスタン人の「クレイジー・シスター」と現地で落ち合って……。
スルについて私が知っていることは限られている。カザフスタン人で、数年前に離婚し、シングルマザーとして二人の子どもを育てている。カザフスタンの首都、ヌルスルタンというところに普段は住んでいるらしい。PR会社に勤めていて、自分の仕事に誇りを持っている。母国語の他にロシア語に堪能だが、私はその二つの言語を理解できない。しかしスルは壊れた英語を独自性の高いしゃべり方で操り、私に気持ちや事情を伝えてくれる。
スルと私は、トルコの田舎で出会った。一人旅をしてふらふらと、現地のバスツアーに飛び込んだところ、同じく一人旅だった彼女から話しかけられたのではなかったかと思う。言葉の壁をぶち壊して、私たちはその日のうちに仲良くなり、二晩一緒に過ごした。このときのこともいずれ機会があれば書きたいが、今回はスルと二度目に会ったときのことを綴っておこうと思う。
スルは私を「マイ・クレイジー・シスター」と呼んでいた。羽目を外しきった二晩がトルコの田舎で繰り広げられたからなのだが、そうはいっても、私よりも彼女の方がずっとクレイジーであるということだけは、はじめにはっきりさせておきたい。トルコでお別れしたときに、スルは私ともう会えないかもしれないと心底悲しみ、人目もはばからず泣いていたので、私も心が傾いてしまって、彼女が乗ったバスを見送った後、ひとりになると涙がこぼれた。でもたぶん、バスの中でスルはすぐに立ち直っていたんじゃないかと今は思う。
帰国後も、スルはちょくちょく連絡をしてきた。彼女は英語が苦手なため、文字ではHow are you?か、それに類するようなフレーズでしかやりとりしようとしないので、なかなか話が弾まない。文字ではなくライブの人なのである。文字のやりとりにストレスが溜まったのか、スルがどうしてもSkypeをしたいというので、時間を繰り合わせて繋いだ。じっくり聞いていると、「仕事でミラノに行けることになった! 初めてのヨーロッパなの! 嬉しい‼︎」という報告だった。
話しているうちに、私はミラノでスルと落ち合うのもいいなあ、と思い始めた。当時の私は三十代の終わりにさしかかっていて、ぱっとしない仕事のこと、見えない将来のことなどついて、ややこしい気分を抱えていた。自分の力で解決できそうなことと、そうでないこととが絡まり合って息苦しく、現実逃避がしたかったのだと思う。それで、私はスルに「私も行くわ、ミラノに」と言った。「ォホワ⁈」と聞こえる大声を出して彼女は仰天した。多分What⁈と言ったのだろう。私も、こんなふうに突然、たいした目的もなく、人に釣られて海外にふらりと行くという選択をしたことはなかったし、今後もしないと思う。「クレイジー」を「やけっぱち」と訳して良いのなら、あのとき確かに私はクレイジーではあった。貯蓄もないというのに、そんなことさえどうでも良くなっていたらしい。
スルは万博に出展する母国ブースのPRスタッフとしてミラノに出張に来た。今日が初日だというスルと街で会い、散策をする。スルは背が高いスタイル抜群のエキゾチックなカザフ美女だから、街中でも目立った。加えて初めてのヨーロッパに浮かれており、誰がどこからみても観光客で、そういう意味でも目をひいた。浮き足立つとはこのことか、と私は思った。比喩ではなく、本当に、片足ずつ数センチ浮いているように見える足取りなのだ。
まず、ドゥオモに向かった。いつまでも続く階段にひいひい言う私をよそに、スルは羽が生えたかのようにずんずん上った。作り手たちの異常な熱意と苦労が突き刺さってくるような、ゴシック建築の激しさに多少辟易しつつ、ドゥオモのてっぺんで青空を見た。私はやっぱり、日々の苦労や、これからの不安を、ミラノのきっといちばん高い場所でも忘れることはできなかった。スルは私の様子を見て取って、「ちひろ、大丈夫? なんか、前より元気がない」と心配する。