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濱野ちひろ「一期一宴」

ドイツ料理「クヌーデル」に対する複雑な気持ちについて

 フランクはクヌーデルの作り方を説明してくれた。ドイツのスーパーには、すでに団子状に成形された即席クヌーデルと、クヌーデルの素ともいえる粉とが売られている。即席クヌーデルは茹でるだけでいいので便利だ。だが料理好きのフランクは、即席団子は使わない。
 フランクの作り方では、まず、ほぼ100%ジャガイモが原料というクヌーデルの粉をボウルにいれて水でふやかし、マッシュポテト状にする。それを本物のジャガイモにそっくりな大きさと形に丸めたあと、10分くらい大鍋で茹でる。するとできあがるのがクヌーデルである。

 お気づきだろうか。つまりクヌーデルとは、ジャガイモをわざわざ粉にしたあとで、あえて再びジャガイモ状に戻したものなのである。茹でるのにかかる時間も、本物のジャガイモと同じくらいだ。
 ドイツには季節を問わずたくさんのジャガイモがあり、いつだってとても安く手に入るのに、どうして素直にジャガイモそのものを茹でないのか?と私は鍋のなかぐらぐらと揺れるジャガイモそっくりのクヌーデルを前に疑問に思わないではいられなかった。日本にも、米を粉にしたあと水で戻して丸めるお団子がある。発想としては同じだ。だが日本のお団子は、甘い味付けにしてあったり、食感が米とは随分違っていたりする。団子はちゃんと、米からトランスフォームできている。もはや米とは異なるものとして、独自のポジションを築けている。それに比べてクヌーデルは、ジャガイモそのものに近すぎる見た目と役割に甘んじていて、まだまだ自立できていない。ジャガイモありきの存在なのである。
 
 私は心の中ではたと膝を打った。私がクヌーデルに対して抱えている複雑な思いの根本にあるのは、クヌーデルという存在の心許なさにあるのではないだろうか。そう思い至ったのである。私は決してクヌーデルを嫌いではない。正確に言うと、嫌いというような強い感情を、クヌーデルは惹起しない。クヌーデルというのは、だいたいいつもボケっとしており、どこで食べても同じ味がして、心にも残らないのである。
 誰のことも怒らせないし笑わせもしないような人間にはなりたくないと私は思ってきたが、おそらくこのクヌーデルというものは、まさにそれなのだ。クヌーデルを初めてご馳走してもらい「美味しい?大丈夫?」と聞かれたとき、私がまごまごしたのは、クヌーデルという存在の曖昧な様子に戸惑っていたからだと思う。ものごとをはっきりと言わない相手に対して、どう対応していいのかわからず困るときの感情にそっくりだ。
 
 よくよく考えてみたら私はもともと珍味が好きで、たとえば10歳のときにハマったのはなまこだった。なまこというものは、どちらが口でどちらが肛門かもすぐには分からないような、不明瞭な形状ではあるものの、食感は唯一無二でほかに似たものがない。こちらとしては、好きか嫌いかの二種類の反応しかできないほどに、なまこは明確に「我は珍味なり」と自己主張してくる。だから、なまこは良い。というわけで、なまこのような堂々たる珍味が好きな人の口には、クヌーデルみたいなどっちつかずのものは合わないだろう、というのが今回の結論である。
 
 ただし、クヌーデルを私に振る舞ってくれたドイツの友人たちはみんな、明らかに、なまこ的な、極めて珍味な人々であったという事実は、最後に書き加えておこう。そうでければ、私は『聖なるズー』を書けてはいないのである。

大鍋でぐらぐらと煮立てられるクヌーデル。見た目はほとんどジャガイモと同じだ。
大鍋でぐらぐらと煮立てられるクヌーデル。見た目はほとんどジャガイモと同じだ。

※濱野ちひろさんの「一期一宴」、次回は、12/4(金)配信予定です。お楽しみに。

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濱野ちひろ

1977年、広島県生まれ。
2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。
2018年、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。現在、同研究科博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む。
2019年、『聖なるズー』で第17回開高健ノンフィクション賞を受賞。
その他最新情報は公式HP

写真:小田駿一

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