よみタイ

篠田節子「介護のうしろから『がん』が来た!」
認知症の母を介護しながら二十年。ようやく母が施設へ入所し、一息つけると思いきや――今度は自分が乳がんに!?
介護と執筆の合間に、治療法リサーチに病院選び……落ちこんでる暇なんてない!
直木賞作家・篠田節子が持ち前の観察眼と取材魂で綴る、闘病ドキュメント。

前回まではこちら→https://yomitai.jp/series/gangakita/

第34回 クリスマスの金の玉――ほぼ完治の年末

介護のうしろから「がん」が来た! 第34回

 昨年十二月、再建手術三日目の外来の処置を受け、ついでに銀座で仕事の打ち合わせを終えた帰りのこと、けっこう満員の夜の中央線の車内で、会社員と思しき若いお姉さんがショルダーバッグと紙袋を肩からかけ、つり革につかまったまま、缶ビールを飲んでいるのを見た。
 何があったのかな、とちょっと心配になる一方、だれも認めてくれない縁の下の力持ち的大仕事をやりとげ、さぁ、家帰るか、と思ったそのとき、キオスクのケースにある缶が目に入ってきて、ひっそり一人で乾杯……なんて事情があったりするのかな、などと想像したりもした。

 それから数日後、私も真っ昼間の中央本線特急あずさ号の座席に腰掛けるなり、冷たい缶ビールのプルトップをプシュッと開けた。再建手術から一週間目の外来受診の帰りのことだ。
 忘年会シーズンでもあり、「先生、お酒とか、もういいですかね」と尋ねて、「ぜんぜん大丈夫ですよ、浴びるように飲むわけじゃないでしょ」とお墨付きをもらったとたんに、それほど酒好きでもないのに、自分でも意外なほどの「やったぜ!」感があった。
 ホームのキオスクでヱビスを購入。陽射しのまぶしい車中で通過駅で立っている人々の手持ちぶさたな顔を眺めながら飲むビールの味は、格別だった(実際には、八王子で降りるころには、血行が良くなったせいでテーピングのかゆみに悩まされることになるのだが)。
「本格的に運動するのは、もう少し待ってくださいよ」とN先生に釘を刺されていても、酒が解禁になったとたんに、なぜ、完治、と思い込んでしまうのだろうか。
 
 数日後、役所時代の友人から、彼女が借りている畑でキクイモを掘り上げるので取りに来ないか、と連絡があった。
 ゴボウの香りとほのかな甘みのあるキクイモは、きんぴらにして良し、サラダにして良し、炒め煮もおいしい。知名度はないが絶品野菜だ。二つ返事で飛んでいく。
 初冬の東京郊外の抜けるような青空。その下に香菜にチャイブやローズマリーなどのハーブの他、小松菜などなど素人百姓らしい雑多な作物が濃淡、色調も様々な緑の葉を広げている。
 シーズン最後の香菜をたくさんいただいた後、キクイモ掘りにかかる。
 他の作物のうねが畑の中心部に切られているのに対し、キクイモは隣のパチンコ屋との境に、背の高い枯れた茎を斜めに傾け、ふて腐れたように立っている。
 だれが植えたわけでもなく、勝手に生えてきたそうだ。それでも食えるそうなので掘り上げてみるか、という程度の扱いだ。
 バチが当たるぞ、あんたたち、とばかりに、茎を引き抜き根元を掘る。
 小さな芋がいくつか出てくる。その下にもっと太った芋が埋まっているが、畑の端っこなので耕されてはいないから土がけっこう硬い。せーのっ、とスコップに足をかけて掘り返す。石ころと区別のつかない芋がごろごろと出てくる。四つん這いになって両手で拾い、傍らのコンテナに放り込み、またスコップで掘り返し……。
 
 ちくっ、と手術痕が痛み出して気づく。再建手術から十日。酒は解禁だが、運動は……。
 そういえば右腕に力を込めるたびに、右胸の筋肉が往年のシュワルツェネッガーのように、ぴくんぴくんと動いていた(乳腺を取ってしまったために、シリコンの入っていない部分の筋肉の動きがもろに外から見えるらしい)。
 食い意地につられて手術のことなど忘れていた。

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Twitterアカウント
  • よみタイ公式Facebookアカウント

関連記事

新刊紹介

よみタイ新着記事

新着をもっと見る

篠田節子

しのだ・せつこ●1955年東京都生まれ。作家。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
97年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞。『聖域』『夏の災厄』『廃院のミカエル』『長女たち』など著書多数。
撮影:露木聡子

週間ランキング 今読まれているホットな記事