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「佐川恭一以来の神童」と呼ばれる男? 滋賀の田舎に現れた後継者【学歴狂の詩 第9回】

固有性や複雑性を消去され「統計」として処理される世界?

 その後、私は当の会社を一年であっさり辞め、傍目にはゴミと区別のつかない「ありえない量の小説を書くが表に出るのはせいぜいその1%ぐらい」マンとなった(母親は近所の人たちに、私の現状を詳しくは語っていないらしい)。したがって、国崎くんはきっと自動的に私を乗り越えているだろう。

 もうあれから十五年以上、国崎くんがどうなったかという情報は私に入ってきていない。もしかすると母親が気を遣って知らせてこないだけかもしれない。だが、私は神童の先輩として、神童と呼ばれる存在が長きにわたって晒されるプレッシャーの過酷さを知る者として――ただの一度も会ったことはないものの――心から国崎くんのことを応援しているのだ。

 いうまでもないことだが、受験でもっとも重要なのは大学受験である。中学受験、高校受験で失敗しても、大学受験で取り戻せる。それが常識的な考え方だろう。しかし、国崎くんが東大文一に合格しても東大寺落ちの記憶を払拭できていなかったように、そして岸田総理が出身の早稲田大学(二浪)ではなくいまだに「開成OB」のステータスを押し出しているように、最終学歴だけでなく中学や高校受験の栄光と挫折もまた、人の心に永く残っていくものなのだ。たとえ東大や京大の合格者であっても、それどころか内閣総理大臣になった者であっても、内面的にも勝者であるかどうかは、結局本人にしかわからない。

 私が言うのもなんだが、東大合格何名、京大合格何名といった統計上の数字には含まれない、個々の精神の複雑な機微を理解しようとしなければ、少なくとも東大=人生の勝者といった安易なイメージから逃れることを志向しなければ、人間を人間として捉える力は失われていく一方だろう。わかりやすいSNSのフォロワー数やら反応の数を競う態度も、もっと極端なことを言えば、大谷翔平や藤井聡太のような人間を最高の成功者のモデルとして無反省に賞賛し消費する態度も、あまり良い傾向ではないと思う。人々がそうした反射的とすらいえる反応をひたすら繰り返した先には、ほとんどのものが固有性や複雑性を消去された「統計」として処理される世界が待っているのではないだろうか? もしかするとすでにそうなっているのかもしれないし、私もそれを知らず知らずのうちに歓迎してしまっている面もあるのかもしれない。しかし個人的には、その流れに抵抗する態度のうちにこそ、人間の善さが立ち現れるのではないかと思っている。これまたお前が言えたことかという話だし、非常に難しいことでもあるが、ものごとを単純化しすぎる人類への警鐘として、文学というものが機能し続けてほしいと私は思っている。

 次回連載第10回は3/21(木)公開予定です。

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新刊紹介

佐川恭一

さがわ・きょういち
滋賀県出身、京都大学文学部卒業。2012年『終わりなき不在』でデビュー。2019年『踊る阿呆』で第2回阿波しらさぎ文学賞受賞。著書に『無能男』『ダムヤーク』『舞踏会』『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』など。
X(旧Twitter) @kyoichi_sagawa

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