2022.1.22
働けど働けど、女フリーランスの不安は増すばかり
名湯で出会うハマムとゴーギャン
Wi-Fiは繋がったものの、さすがに弱く、大きなファイルを送るには殊更時間がかかりました。仕事をオファーしてくれた若手編集者に迷惑をかけつつ、年々低下している集中力を無理やり滾らせ、撮影のオファーに原稿に校正にとバタバタと仕事の山を片付けていきます。
朝までかかるのは確実でしたが、一度目の区切りを19:00に迎え、どうしても温泉に行きたくなりました。目と鼻の先にある楽園でリフレッシュをして、後半戦に突入したい。外は暗闇、どうする藤原。
今後のことも考えれば、早々に慣れておくに越したことはありません。昨日は勇気がなかったものの、いい歳したおばさんが今更何を言っているんだと自分を焚きつけ、準備をして向かうことにしました。空腹では動かなくとも、快楽では動く。相変わらず自分がよくわかりません。
以前、一度行って、泉質が気に入った温泉に向かうことにしました。外に出ると、空いっぱいに星が瞬いています。つまり、それだけ暗いということ。街灯など一切なく、玄関から駐車場の数mでさえ、闇に飲み込まれています。
恐怖心などもう知らん、子がいるわけでなし、死んだところで影響はない。仕事の高揚感を味方にエンジンをかけます。
白線が消えかけた路面の悪い道もあれば、これが二車線? と思うような細い道。地元の人はすっかり慣れていて車を飛ばしますが、とてもじゃないけどできません。Googleマップの言いなりとなって、後続車に多少の迷惑をかけながらやっとのことで辿り着きました。
以前来たときは日中で、私の他にお客さんはひとりしかいませんでしたが、この時間は地元の人で賑わっていました。とはいえ、決して広い温泉ではなく、7、8人いたらもういっぱいです。
サウナのような薄暗い空間で、地元のおばさん達はもはや椅子にも座らず、地べたにぺたんと腰をつけて洗っています。丸みのある体と、そのワイルドな雰囲気は、まるでゴーギャンが描く裸婦のようで美しく思いました。
おばあちゃん同士が愉快そうに話していますが、生粋の鹿児島弁は一切理解することができません。青森にある恐山の温泉でも同じ体験をしました。耳を澄ませど、何を言っているのかまるで理解できない中、唯一「Facebook」という言葉だけがわかりましたが、恐らくそれも空耳でしょう。
同時に、薄暗さも相まって、モロッコで行ったハマムという銭湯を思い出しました。英語が一切通じないその場所で、裸で床に転がされ、魚のようにガシガシと洗われた時も、同じ感覚に陥りました。ただの生き物であることを突きつけられて、異世界に持っていかれるあの感じ。
温泉は炭酸水素塩泉で、素晴らしい泉質です。自分に合っているか合っていないかに大きく因りますが、熱くてもなぜか長く入っていられること、入浴中は汗をあまりかかないこと、湯冷めをしないことという、私の名湯の条件を見事に満たしていて、何度も出たり入ったりを繰り返しました。
どっぷり温泉を満喫して、また暗がりをおっかなびっくり運転しながら家路につきます。音楽を流すとだいぶ気持ちが変わって、少しずつ運転も楽しくなっていきそうな予感がしました。
家に着くと、リフレッシュのつもりで温泉に行ったのに、おいでおいでとベッドが手招きしてきます。それでも、どうにか気持ちを奮い立たせ、早朝になるであろう次の一段落までキーボードを叩き続けました。脳が眠いと思うから眠いのだ。
終わりの見えない仕事を前に、終わらない仕事はないと言い聞かせながら、校正を続けていたら、白々と夜が明けてきました。一瞬だけと外に出ると、東の空に太陽が頭を出し始めていました。私の昨日はまだ終わっていないけれど、今日が始まるようです。
無と化す夜とは違い、朝は世界が輝いて見えます。澄んだ空気、緑の匂い、柔らかな風。お店も朝早く開き、夜は早く閉まる。お日様と共に生きることが求められているような気がしました。
毎年、元旦に決める今年の目標は早寝早起き。去年も一昨年も同じなのに、いまだ達成されていないその願いを今度こそ。朝の美しさを、冴えた頭で見たいと思いました。
束の間の休憩を挟んで、ここまでは今日中にというところまで終えて、いよいよ限界が訪れました。体を引きずるように、ベッドに入ると、ふかふかのお布団がいらっしゃいと体を包み込んでくれます。あぁ、幸せ。
若手チームに迷惑を掛けつつ、ようやく終わらせた仕事でしたが、後日、色校と一緒にめぐリズムやパックが送られてきました。「綾さんのおかげです! ありがとうございました。ゆっくり休んでください」と書かれた付箋を見て、こっちの台詞だよと独語ちました。最近の若者は、優しくて気遣いができる! おばさん、泣けるよ。ありがとう!