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藤原綾「女フリーランス・バツイチ・子なし 42歳からのシングル移住」
バツイチ、シングル子なし、女40代、フリーランス。
編集者、ライターとして、公私ともに忙しく過ごしてきた。
それは楽しく刺激の多い日々……充実した毎日だと思う。
しかし。
このまま隣室との交流も薄い都会のマンションで、
これから私はどう生きるのか、そして、どう死ぬのか。
今の自分に必要なのは、地域コミュニティなのではないか……。
東京生まれ東京育ちが地方移住を思い立ち、鹿児島へ。
女の後半人生を掘り下げる、移住体験実録進行エッセイ。

働けど働けど、女フリーランスの不安は増すばかり

女ひとり、生き急ぐ必要もなし。

 目が覚めて寝室のカーテンを開けると、青空のもと視界いっぱいにお隣さんの畑が広がります。大きな和風建築の一軒家が点々とあって、電線の向こうにはなだらかな山々。数日前まで見ていた公園の景色も愛着がありましたが、この眺めも毎日愛でることができそうです。
 両開きのカーテンが寝室に2つ、リビングに3つ、ダイニングに4つ、キッチンにひとつ。カーテンを一枚一枚開けて、朝を確かめていきます。今までは片開きのカーテンを一枚開ければ、部屋いっぱいに光が注ぎ込んできたので面倒ではありますが、広いワンルームを明るくするためには致し方なし。いつか面倒になって、ボタンひとつで全部開けばいいのにと思う日が来るかもしれないけれど、今のところこの作業も嫌いではありません。
 
 自治会の班長さんを紹介してもらうことになっていたので、羽田空港で慌てて買った東京土産を持って、まずは売主さんのところへ挨拶に行くことにしました。家の前の道を南に向かって歩いていくと、曲がり角に建つ家の軒下で男性がタバコをふかしています。
 念のため道が合っているか尋ねようとしたら、それよりも早く大きなゴールデンレトリバーが私に向かってけたたましく吠え始めました。ひぃぃ。男性は吠える犬をいなし、道が正しいことを教えてくれました。
 売主さんは畜産業を経営していて、数十頭の黒牛を飼っていると聞いていました。木漏れ日が差し込む道を歩いていくと、突然開けて家と牛舎が見えてきます。
 売主さんに会う前に、ちょっと牛にご挨拶と近づいていくと、低音のホルンのような鳴き声で一斉に威嚇を始めました。ひぃぃ。そんなつもりではないと伝え、家のほうに赴きチャイムを鳴らしましたが、どうやら不在のようです。
 すると、教習所で習った何らかの小型特殊自動車に乗った売主さんが、こちらに笑顔で手を振りながら現れました。既に知っている人が、ご近所にいるのは安心です。
 車を乗り換えて、世間話に花を咲かせながら班長さんの家にたどり着くと、ここにも牛が一頭。私に向かってホルンの音を奏でますが、大群でなければ、恐怖心を好奇心が乗り越えます。売主さんがチャイムを鳴らしている間にまじまじと見ると、澄んだ瞳と口元の涎が輝き、何を食べているでもないのにむしゃむしゃと口を動かしています。のどかだ。

 残念ながら、班長さんは留守のようで、また後日改めてという話になりました。アポなしで訪れ、いなかったらまた今度。この緩さがたまりません。事前に連絡をすれば、わざわざ来なくてもよかったのですが、そんなことはどうでもいいのです。効率をここに持ち込むのは野暮な話。近いんだからまた来ればいい、女ひとり、生き急ぐ必要もない。
 帰りの道すがら、メイちゃんから私の家の近くに養鶏場が運営している卵の自販機があると聞いていたので、その話を売主さんにすると、近所だからと連れていってくれました。
 卵だけを買いに、山間のこんな場所まで来る人はどれくらいいるんだろうと訝しく思いましたが、到着すると既に先客が2組いました。笑顔のニワトリとヒヨコのイラストが描かれた大きな自動販売機には、色褪せた3種類の卵の写真が並んでいます。250円を入れて、小さめの卵を選んでボタンを押すと、何やら機械が動いて扉を開くように促されます。小さな引き戸を開けると、そこにはパックに入った14個の生みたての卵がありました。
 家まで送ってもらい、どんなもんかとコップに卵をひとつ割ってみると、黄身は不思議な黄色をしています。そのまま口に含むと、臭みは一切なく、濃厚というよりは爽やかな味わい。うまー!
 卵はこの自販機で買うと決めながらも、完全にファミリーを対象としているその数は、独り者にはずっしりとした重みがあるのでした。

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藤原綾

1978年東京生まれ。編集者・ライター。早稲田大学政治経済学部卒業後、某大手生命保険会社に就職するも、大企業の闇に触れて逃げるように宝島社に転職。ファッション誌の編集を経て2007年に独立し、ファッション、美容、ライフスタイル、アウトドア、文芸、ノンフィクション、写真集、機関紙……と、節操なく仕事を受けてきた結果、幅広い業界で編集・執筆活動を行うことに。近年もブランドムック『ANNA SUI COLLECTION BOOK』、雑誌『小学一年生』、漫画『ごろごろにゃんすけ』(村里つむぎ)、書籍『つくるひとびと』(秋山竜次/ロバート)、小説『海の怪』(鈴木光司)、カタログ『LAZY SUSAN』など、極端なノンジャンルで活動中。

インスタグラム @id_aya

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