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藤原綾「女フリーランス・バツイチ・子なし 42歳からのシングル移住」

女ひとり+だだっ広い部屋+虫の声=孤独?

静かで暗くて心地よくて。睡眠の質、だだ上がり!

 夜が深まり、いい加減作業にも飽きてきました。
 外では虫の大合唱が鳴り響いています。それでも、東京よりも明らかに静けさを感じます。ベースとなる空気に雑音が混じっていないというか、耳に入ってくる音のほぼすべてが自然なものというか。
 友人から「広い部屋に夜ひとりって怖くない?」と聞かれましたが、まるで恐怖心は感じませんでした。
 登山をしていて風が止んだ瞬間、圧倒的な静寂に包まれて、突然、太平洋ひとりぼっち的な心持ちになることがあります。一度、山形県の鳥海山で遭難したときもそうでした。周辺で聞こえるガサゴソとした音は動物でしかなく、何の混じりけもない静寂は宇宙に放り出されたかのようで、救助隊を待つ間、言い知れぬ恐怖に震えていました。
 そのとき、私を最後まで励まし続けてくれたのは月の光と虫の声で、姿かたちは想像つきませんが、外から聞こえるたくさんの声はむしろ安心感を与えてくれます。

 結局、温泉に行くことは諦めて、真新しい家のお風呂に入りました。湯船に浸かってぽかんと天井を見上げると、鹿児島にやってきたことがじわじわと染み入ります。
 明日は東京土産をもって、近所に住んでいる売主さんと、遠吠えしていた犬の飼い主であるお隣さんに挨拶をしに行かねば。
 仕事もある、片付けもある、電気の切り替えに、すっかり忘れていたWi-Fiの契約。そして何より、食料が必要です。
 外に広がるのは時間を忘れさせてくれる穏やかな景色。ま、頑張りますか。

 寝る前になんとなく外に出てみると、周辺に明かりが少ないせいか、日当山で見た空よりも深い藍色をしていました。畑のほうに歩いていって見上げると、視界は何にも遮られることなく、星空でいっぱいになります。
 子どもの頃に遊んだ星座早見盤が、毎日肉眼で見られる幸せ。
地方から東京に出てきた人が地元を紹介するとき「何もない」と表現することがよくありますが、少なからず、ここにはめちゃくちゃ「あり」ます。
 デフォルトとして持っているものに、人は価値を見出しづらいのかもしれません。なくして初めて、デフォルトだと思っていたものが恵みだったと気づくのかもしれません。
 一方、これから始まるご近所付き合いや、東京との往ったり来たりの生活がどのようなものになっていくかはやってみないとわかりませんし、いつか私もこの恵みをデフォルトとして認識し始めるかもしれません。いいことばかりと舞い上がらず、私にとってまだ特別なこの場所で、まずはゆっくり慣れていくことから。

 電気を消して、ベッドにもぐり込むと、経年劣化していた今までのマットレスとは違う新しいふかふかとした感触に包まれました。これは、もはや快楽。布団のなかで、幸せのバタ足が止まりません。寝具代をケチらなくて本当によかった。ぬくぬく、ぬくぬく。
 外では静寂閑雅に虫の音が鮮やかに際立ち、だんだんとメロディーのように聞こえてきます。「古池や 蛙飛び込む 水の音」なんて句は、静かな場所じゃなきゃ生まれないわな。
 新しい寝具に加え、暗さや静けさも相まって、期せずして眠るのに最適な環境が生まれていました。この心地よさを少しでも長く味わいたいのに、初日の夜は3分ともたず深い深い眠りへと堕ちていきました。

(※本文写真は著者によるものです)

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藤原綾

1978年東京生まれ。編集者・ライター。早稲田大学政治経済学部卒業後、某大手生命保険会社に就職するも、大企業の闇に触れて逃げるように宝島社に転職。ファッション誌の編集を経て2007年に独立し、ファッション、美容、ライフスタイル、アウトドア、文芸、ノンフィクション、写真集、機関紙……と、節操なく仕事を受けてきた結果、幅広い業界で編集・執筆活動を行うことに。近年もブランドムック『ANNA SUI COLLECTION BOOK』、雑誌『小学一年生』、漫画『ごろごろにゃんすけ』(村里つむぎ)、書籍『つくるひとびと』(秋山竜次/ロバート)、小説『海の怪』(鈴木光司)、カタログ『LAZY SUSAN』など、極端なノンジャンルで活動中。

インスタグラム @id_aya

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