よみタイ

つらくて苦しい胃カメラ検査を乗り切るためのたったひとつの冴えたやり方

 検査室は適度に薄暗く、わずかな音量でジャズが流れているのがわかった。患者の緊張をほぐすための気配りなのだという。
「BGMがあるの嬉しいですね」と伝えたら、「よかったらチャンネルも変えられますけど、ご希望ありますか?」と思ってもみないリクエスト。
 ではお言葉に甘えてミュージックチェンジといこう。日本人の魂を震わせるのはやっぱり演歌だろうか。はたまたヘヴィ・メタルを流せば、改造手術を受けているようなハイな気持ちになれるやもしれない。
 色々考えた末に私が選んだのは「マイケル・ジャクソン専門チャンネル」だった。
 
「今からこれが入っていきますからね~」と太さにして約5ミリ程度の胃カメラを手にして微笑む担当医。PCR検査で鼻の奥に綿棒を押し込まれるのも苦痛だったのに……。ああ、やっぱり口にしとけばよかったかな。
 かすかに聴こえてくるマイケルの『Human Nature』に勇気づけられながら、検査はスタート。鼻の入口が思ったよりも狭いらしく、ベストな進入角度を見つけるのに四苦八苦。食道の入口辺りをカメラが通る辺りで、嘔吐反射で「おええええ!」と何度もえづく。苦しい、両眼から大粒の涙がこぼれる。恥ずかしい。でも人前で思いっきり泣くのってちょっと気持ち良い。
「大丈夫、大丈夫ですからね!」と背中を撫でてくれる看護師さん。その手のなんとあったかいことか。この人こそナイチンゲールの生まれ変わりに違いない。
 

胃カメラのイメージ。
胃カメラのイメージ。

 カメラは一気に十二指腸まで到達し、そこから胃の内部へとゆっくり戻っていく。
「自分の胃の中をご覧くださいませ~」という先生の声で、モニターに映し出された胃の内部とご対面。うええ、思っていたよりもグロいな。
 粘膜の荒れがひどいので、カメラの先端に付いているメスで細胞を切除し、精密検査に回すことに。メスを振う瞬間に「チョッキン!」と声を出して言う先生。この人の言語センスは医者に向いていない気がする。

 所要時間15分程度で検査は終了。生と死の狭間をたゆたう臨死体験をしたかのような不思議な心持ちだった。ピロリ菌の有無に関しては即日判定となるので、待合室にて結果を待つ間に、五体満足で生還できた喜びが湧き上がってくる。生きてるって何てすばらしいんだ! ただ人生は甘くはない。結果は陽性。一週間にわたり朝夕クスリを飲み続けてピロリ菌を除菌することになった。
 

除菌の薬はこんな感じ。
除菌の薬はこんな感じ。
除菌のパンフレット。
除菌のパンフレット。

 どこにも寄り道をせずに自宅に直帰。せっかくなので自撮り写真を一枚パチリ。鼻からは鼻水と鼻血がダラダラ、口からはヨダレがダラダラというひどい有様だが、ひとつの戦いを終えた男の顔をしているなと自画自賛。

胃カメラ後の爪切男。
胃カメラ後の爪切男。

 恋人は仕事のため、あいにくの不在。私には今、癒しが必要だ。服を着替えて、普段はあまり近づかない猫カフェに救いを求めてしまった。
「ネコちゃんネコちゃん、おじさん長生きしたいからね、胃カメラがんばってきたのよ」
 信じられないぐらいの無表情で私を見つめる猫ちゃん。つれない野郎だ。ああ、早く愛する恋人に今日の頑張りを褒めてもらいたい。
 私は自分のために健康になりたいのではない。私を愛する人のために健康になりたいのだ。可愛い女の子が喜んでくれるなら、大嫌いな納豆だって食べてみせたし、苦手な胃カメラだって乗り越えてきたのだから。
 
 美容は自己満足のために。
 健康は愛する人のために。

 ただ、今一番の望みは、目の前のネコちゃんに、もう少しだけ愛想よくして欲しいわけである。

胃カメラ終わりに猫カフェに。
胃カメラ終わりに猫カフェに。

当連載は毎月第2、第4日曜更新です。次回は3月24日(日)配信予定です。お楽しみに!

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新刊紹介

爪切男

つめ・きりお●作家。1979年生まれ、香川県出身。
2018年『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)にてデビュー。同作が賀来賢人主演でドラマ化されるなど話題を集める。21年2月から『もはや僕は人間じゃない』(中央公論新社)、『働きアリに花束を』(扶桑社)、『クラスメイトの女子、全員好きでした』(集英社)とデビュー2作目から3社横断3か月連続刊行され話題に。
最新エッセイ『きょうも延長ナリ』(扶桑社)発売中!

公式ツイッター@tsumekiriman
(撮影/江森丈晃)

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