よみタイ

おじさん、縄跳びを買う~嗚呼、我が青春の二重跳びをもう一度~

 ウォーミングアップとして前跳びを50回ぐらい跳んで体を慣らすか。特に準備運動などはせず、軽い気持ちで私はぴょんと宙に浮かんだ。
 その瞬間明らかな異変を感じた。
 重い、体が鉛のように重い。両足首に鉄球を付けられているかのような重力を感じる。その重さに耐えきれず両膝がグラグラと揺れ、悲鳴を上げ始める。
 子供の頃はピョンピョン跳べていたはずが、今ではドタバタの大騒ぎ。まだ10回ぐらいしか跳んでいないところで「ぐへえ」と情けない声を出しながら、私は地面に前のめりに倒れ込む。

 ……危なかった。
 あのまま無理に跳び続けていたら、マズイ形で地面に着地をして、アキレス腱を切るぐらいの大怪我をした可能性も十分に考えられる。
 私は大きな勘違いをしていた。
 美容と健康に気を遣った生活をしているからって、若い頃と同じように体が動くわけではない。それは全くの別の話だ。たかが縄跳びだって舐めてたら痛い目に遭うぞ。

 気を取り直し、屈伸、伸脚、アキレス腱伸ばしといった準備体操を入念に行う。若い頃は、ラジオ体操も含めこんなもんに何の意味があるのかわからなかったが、オッサンになってはじめて準備体操の大切さを思い知る。運動だけじゃない、仕事でもなんでも大概のものは事前の準備の段階でほぼケリがついているのだ。

アキレス腱を伸ばす爪切男。
アキレス腱を伸ばす爪切男。

 入念なウォーミングアップを終えた私は、再びマイ縄跳びを手に取る。もう慢心はない。ただゆっくりと確実に前跳びを繰り返すのみ。「フッフッフッ……」と小刻みに呼吸をしながら宙を跳ぶ。

 この身体の重さこそが今までの自分の不摂生のツケなんだなという後悔。もうそんなに頑張らなくていいじゃないか、ほどほどでやめちまえよという悪魔のささやき。あ、そういや電気代の支払いまだだったな。さっき道ですれ違った金髪の姉ちゃん可愛かったな。今日の晩飯は余っている野菜を全部使って焼きそばにしようかな。
 子供の頃は何も考えずにただ「楽しい」という気持ちだけで夢中で跳んでいたはずなのに、大人になった今は縄跳びをしながらいろんなことを考える。運動ってそういうしがらみから一瞬でも解き放たれるもんだとばかり思っていたら、そう簡単にはいかないみたいだ。私だけかもしれないが。

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爪切男

つめ・きりお●作家。1979年生まれ、香川県出身。
2018年『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)にてデビュー。同作が賀来賢人主演でドラマ化されるなど話題を集める。21年2月から『もはや僕は人間じゃない』(中央公論新社)、『働きアリに花束を』(扶桑社)、『クラスメイトの女子、全員好きでした』(集英社)とデビュー2作目から3社横断3か月連続刊行され話題に。
最新エッセイ『きょうも延長ナリ』(扶桑社)発売中!

公式ツイッター@tsumekiriman
(撮影/江森丈晃)

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