2022.5.31
湯の中の世の中(1)──式亭三馬『浮世風呂』にみる他者との距離
「だる絡み」へのしっぺ返し?
ただ、当時は身体障害者をからかうことが「関係の近さ」を意味したのか、というと、それも的外れであることが同じ前編の巻之下には書いてある。
巻之下の「午後之光景」では、座頭(楽器演奏やあん摩、鍼灸などで生計を立てる盲目の男性を当時そう呼んだ)のグループが銭湯で体を洗っているところに、酔っ払いが変な絡み方をする。今でいう「だる絡み」そのもので、彼の口からは差別的で非常に失礼な表現が続く。なぜ座頭達が視力を失ったのか、それとも生まれつきなのかと病歴まで訊き出したり、あろうことか彼らの使っていた手桶を隠したりする。
「これも当時は普通だったのか……?」と眉を顰めながら読み進めると、まるでドリフのように、その酔っ払いの頭に〝偶然〟冷や水がぶっかけられる。怒った酔っ払いが立ち上がるが、軽石を踏み足を滑らせてすっ転び、何を間違えたか喧嘩の強そうな男に突っかかってしまい、一触即発。番頭が強面の男をどうにか宥め、酔っ払いは着物を着せられ銭湯の外に出されるが、そこにいた子ども達からも道理のわからないやつだと馬鹿にされる……というオチだ。

いくら当時の人間関係が密接であっても、何もかも無礼講というわけではない。いわゆる超えちゃいけないラインは江戸時代からあり、それがわからない人間は無粋で失礼な者、という扱いだったのだろう。「田舎者です」「体が冷えています」と挨拶した習慣を紹介した本作冒頭の「大意」には、それぞれが身分も貴賤も年齢も脱ぎ去って同じ湯に浸かる銭湯だからこそ、そこには礼儀道徳が必要だと続けて書かれている。裸の付き合いこそ、他者を尊重するべきということだ。
滑稽本は子ども向けの教化作品ではないので、ここで「ひどいことを言ってはなりません」と説教することはしない。誰かがわかりやすく注意することもなく、酔っ払いはあくまで「道理のわからない人間」という意味の表現にとどまる。みなまで言わず、冷や水も軽石も強面の男も、ピタゴラスイッチのように偶然が酔っ払いに痛い目を遭わせるのが、本作のおもしろいところだ。勧善懲悪でありながら、滑稽も両立している。こういう描写もおしゃれだ。主義思想が薄く、リアリティのある描写や語りのおもしろさがウケた三馬作品は、その一方で「文学」というより「娯楽」作家と評価され軽んじられてきた(*4)。この描写には彼のイズムを感じたのだが、私の誤読だろうか……。
さすがに現代でこの酔っ払いと同じようなことをする人はいないと願っているが、差別もマウントも、被害の程度の違いはあれど階層を作る行為であることは共通する。サウナやお湯の中でくらい、社会的階層や属性から解き放たれていたい……。
【注釈】
(*1)当時の本屋は「書肆」や「書林」などと呼び、小売だけでなく編集や製本まで行い、現代でいう出版社の役割も担っていた。三馬に依頼した書店員は、今でいう編集者のような立ち位置。
(*2)特に三馬は京伝に私淑しており、『仲街艶談』(1799・寛政11年)の序文では、彼の名前に倣って署名に「山東住息子」と記していたほどだ。
(*3)土屋信一「『浮世風呂』に見る子ども達の世界」(『新日本古典文学大系86』付録月報6、1989年6月)。
(*4)神保五彌は『江戸戯作』で三馬について「身についた話芸の意識が先立って、その世相批判や文化批評もせいぜい皮肉やあてこすり程度にすぎず、平凡な教訓の枠にとどまっている。(中略)文字通り庶民の一員にすぎなかった三馬の限界であり、精密な写実の技法にささえられた笑いは、それゆえ思想性を欠いた虚無的な笑いという印象を与えるものだった」と評価している。
【参考文献】
神保五彌校註『新日本古典文学体系86 浮世風呂・戯場粋言幕の外・大千世界楽屋探』(岩波書店1989)
神保五彌・杉浦日向子『新潮古典文学アルバム24 江戸戯作』(新潮社 1991)
棚橋正博『式亭三馬 江戸の戯作者』(ぺりかん社 1994)
中江克己『江戸時代に生きたなら 生活・風俗・江戸の物価交換変遷史』(廣済堂出版 1993)
連載第9回は6/28(火)公開予定です。