2022.4.26
アンドロギュノスと心中──『比翌紋目黒色揚』と古代ギリシャ神話の、偶然
アンドロギュノスが異性愛者の原形?

「当時各人の姿は全然球体を呈して、背と脇腹とがその周囲にあった。それから四本の手とそれと同数の脚と、また円い頸の上にはまったく同じ形の顔を二つ持っていた」――これは古代ギリシャの哲学者プラトンの著書『饗宴』で語られる「人間の原形」についての記述だ。この「原形」である球体の人間には男、女、男女の三種の性があり、特に男女は「両性具有」として知られている。両性具有というと、現代ポップアート(というより、エロ漫画や二次創作界隈)では一人の人間にオスとメスの二つの性器が備わっている、いわゆる「ふたなり」な表象が多いが、古代ギリシャではこのように考えられていたのだ。
曰く、球体の人間たちは古代ギリシャの神々に果敢にも逆らう存在で、困ったゼウスをはじめとした神々は、球体の人間たちを二体に割いて弱体化させた。半身となった人間たちは、失ったかつての片割れを求め、全能であった姿に戻るため恋愛をするようになったという。それゆえ、球体の男と女は同性愛者、男女は異性愛者の原形であると考えられていた。 このように、『饗宴』は知識人たちの演説と対話という体裁で、エロース(恋愛)について語ったものだ。古代ギリシャにおける恋愛は、本来の姿に戻るためのプロセスという意味を持った。この本来の姿とは、プラトン哲学におけるイデアと換言できるだろう。
江戸時代の文芸作品についての連載にもかかわらず、いきなり古代ギリシャのプラトン哲学を引用したのは、板坂則子さんの『江戸時代 恋愛事情――若衆の恋、町娘の恋』(朝日新聞出版 2017)で紹介されたある作品の絵が、『饗宴』の「人間の原形」を想起させたからだ。

アプリ「みを」を使ってくずし字を読む
曲亭馬琴作、歌川豊国画の『比翌紋目黒色揚』(1815・文化12年)という読本らしい。これは気になる、さっそく本文を読んでみよう! と調べるが、なんとこの作品は翻刻されておらず、当時の本のデジタルデータしか出てこない。江戸時代の文芸作品が好きと言っておきながら、恥ずかしながら私はくずし字や変体仮名を読むことができない。
そのため、今回は2021年8月にROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センターからリリースされた、AIくずし字認識アプリ「みを(miwo)」を使用しながら、適宜誤認識を補足しながら鑑賞した。 知りたい文字や文章部分をスマホのカメラで撮って読み込むと、緑色のゴシック体で判別した文字を表示してくれる。アプリ自体がリリースして間もなく、まだまだ読み取り機能に向上の余地があるとは感じる。絵巻や黄表紙とは違い、文字の多い読本では解読結果の文字が重なり合って潰れてしまったり、読み込み自体ができなかったりした箇所もあった。そういった穴は『くずし字解読辞典 普及版』(児玉幸多編、東京堂出版 1993年)を引きながら鑑賞した。
新しいアプリではあるものの、くずし字は判読できないが古典文学はいくつか齧ってみたことがある、といった私のような人間には、これがあるのとないのとでは心的ハードルが格段に下がる。最初から辞典片手に、となったら、途中で投げ出していたに違いない。ちなみに、この「みを」を開発したのはタイ人のカラーヌワット・タリンさんだそうだ。すごい……! この場をお借りして心より御礼申し上げます。