2022.5.31
湯の中の世の中(1)──式亭三馬『浮世風呂』にみる他者との距離

男のサウナブームはマウンティング?
コロナ禍以前より、ここ数年はサウナブームで「ととのう」感覚の素晴らしさが説かれる機会も少なくない。以前、雑誌である男性歌手と対談した際、彼は男性を中心としたサウナブームについてこう解釈をしていた。
男性は「お茶」をしない。その代わりにサウナだったり飲み会だったり、理性の箍が外れる状況でコミュニケーションをとろうとする。むしろ、発汗や酩酊で身体を追い込まないと心の内を明かすことができなくなるほど、男らしさというジェンダー規範で自縛している。さらに、サウナはひとりで楽しめるだけではなく、温度や湿度などの知識や、ととのう感覚を知っているかどうかのマウンティングもできる。だからサウナは男性にとって都合がいい場所なのかもしれない、と彼は語っていた。
実際どうなのかはわからないので、サウナ好きの男性の知人にちょっと訊いてみると、「俺はサウナ知ってるんだぞ」マウントは、あるにはある、と答えてくれた。私はよく岩盤浴に行くが今までそんなひとに出くわしたことがなかったので、気の毒に思う。
ネガティブな意見を書いてしまった。好きなひとには申し訳なかったが、前向きに捉え直せば、サウナは単なるリラクゼーションだけでなく、コミュニティ醸成の場でもあると言えるだろう。そもそもマウンティングは、コミュニティがなければ発生しないものだ。
寛政の改革で禁じられた混浴
今回紹介するのは、式亭三馬の滑稽本『諢語浮世風呂』(1809・文化6~1813・文化10年)だ。
本作の時代のお風呂はサウナ形式ではなく、手前に洗い場があり、「柘榴口」をくぐって湯船に入る構造だ。湯船に入る際は「田舎者でござい、冷物でござい、御免なさい(田舎者なので江戸のマナーがわかっていなかったらごめんなさい、冷えた体が当たったらごめんなさい)」などと挨拶して出入りするのが銭湯マナーだったと、本作冒頭の「大意」に記されている。

また、風呂を題材にしながら性的なイメージが極力排除されているのも特徴のひとつだ。「前編」の冒頭には『礼記』の「七年男女席を同じくせず食を共にせず」をもじって「男女風呂を同じうせず夫婦別あるをしれるや」とあるように、三馬が活躍した時代の江戸では、銭湯は男女別だった。それ以前は混浴が当たり前だったが、寛政3(1791)年の寛政の改革で風紀上の問題があるとして混浴を禁止され、その後天保の改革でも再び禁止された。しかし、実態としては混浴は幕末まで続いていたとされている。実際に三馬が通っていた銭湯は法令を遵守していたのかもしれないし、規制対象にならないよう三馬が銭湯を男女別に描写した可能性も、否定できない。ちなみに、混浴を禁じた寛政の改革は、黄表紙をはじめとした出版検閲・規制も行っていたことも付記しておく。(詳細は第3回の記事へ)
お上へお伺いを立てつつ、さらにこんな制作背景もある。
三馬が三笑亭可楽の落語を聞いた時、一緒に聞いていた本屋のスタッフから(*1)「柳巷花街の事を省きて俗事のおかしみを増補せよ(遊郭や花柳界の色恋沙汰ではなく、世間一般のおかしみを取り扱った作品が足りない。銭湯を舞台に書け)」と依頼されたことが本作を書くきっかけだった、と本文に記されている。
この「おかしみを増補せよ」が妙にかっこいい台詞なのだが、寛政の改革によって、それまでかっこつかない人間の滑稽を題材にしてきた洒落本が、遊郭での真剣な色恋を描くようになり、笑える作品が激減してしまったのだ。この前提もあり、性も色恋も主題ではない、滑稽なリアリズムを徹底した作品となった。