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デュアルライフ的、スローなワークスタイル。僕はどうしてフリーの原稿書きになったのか?

働き方の変遷とデュアルライフの関係

僕は1993年春に新卒採用で某出版社に就職して以降、一度の転職を挟みつつ2010年春までの17年間、会社員をしてきました。

雑誌編集者という仕事柄、世の一般と比べたらいろいろ緩かったとは思いますが、それでも毎朝会社に出社し夜まで働くという、規則的で真っ当なサラリーマン生活を送りました。
僕の中ではこれが、「マイワークスタイル1.0」です。

出版社を辞めたあとは小さな事務所を借りて人を一人雇い、マイクロ規模の編集プロダクションを開業しました。
出版社に勤めていた頃と変わらず、事務所に来て朝から夜まで働いていましたが、自分がボスなので諸々の自由度は大きくなりました。「マイワークスタイル2.0」です。

でも結局、2.0はあまりうまくいきませんでした。
組織を徐々に大きく育て、やがて自分は現場から離れて社長業に専念しようという微かな目論見もあったのですが、僕にはそうした経営者的才覚がまったくなかったのです。

たった一人の従業員の賃金と小さな事務所の家賃を払うのもキツくなってきたので、一旦すべてをリセットすることにしました。
妻と相談し、デュアルライフをはじめたのがこの頃です。
経済的に厳しいタイミングでなぜデュアルライフを?と疑問に思うかもしれませんが、自分の中で矛盾はありません。
こんなに消耗の激しい東京生活とはいつか縁を切り、将来的には地方で余裕のある暮らしをしてもいいかも。そんな考えに従った準備だったわけです。

事務所を畳んだ僕はそれ以降、一人でこなせる規模の仕事だけを受けることに決めました。
そして、どちらかというと編集の仕事より、取材と執筆の仕事に重きを置くようになります。
昔から文章を書くことが好きな僕にとって、原稿書きは仕事でありながら趣味の延長のようなもの。
リタイアすることなく死ぬまで楽しく続けられそうな、ある意味究極の働き方で、それが「マイワークスタイル3.0」なのです。

現在もその只中にいる3.0な働き方は、デュアルライフと相性抜群です。
何しろ「暑い! もうヤダ!」と思ったらバスに飛び乗り、平日から山の家へ来ても、誰にも文句は言われないのですから。
いや、妻と娘はちょっとブツクサ言いますが、そこはまあ、許してもらいましょう。

「暑い! もうヤダ!」と思って来た山中湖も暑かった
「暑い! もうヤダ!」と思って来た山中湖も暑かった

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佐藤誠二朗

さとう・せいじろう●児童書出版社を経て宝島社へ入社。雑誌「宝島」「smart」の編集に携わる。2000~2009年は「smart」編集長。2010年に独立し、フリーの編集者、ライターとしてファッション、カルチャーから健康、家庭医学に至るまで幅広いジャンルで編集・執筆活動を行う。初の書き下ろし著書『ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新』はメンズストリートスタイルへのこだわりと愛が溢れる力作で、業界を問わず話題を呼び、ロングセラーに。他『オフィシャル・サブカル・ハンドブック』『日本懐かしスニーカー大全』『ビジネス着こなしの教科書』『ベストドレッサー・スタイルブック』『DROPtokyo 2007-2017』『ボンちゃんがいく☆』など、編集・著作物多数。

ツイッター@satoseijiro

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